なんか突き抜けたかも。

いついかなる状況においても俺は俺。
今ここに自分が存在し、他には存在しないことこそが、最強の表現。
存在と不存在だけで、全ては表現しうる。
とすると、表現は常にたれ流し状態。わざわざ表現の自由なんて保障する必要もない…なんて論文で書いてみたいなあ。憲法21条プログラム規定説?笑

表現なんて、そんなご大層なものではない。
今まですごく大切にして追究してきたものだけど、その分それに囚われていた自分が見えた。
自己表現・自己実現とかいって、肩肘張ってやるようなものではない。
自分の存在・不存在だけで、既に自己表現・自己実現されているのだから。

法律家の共通言語を使わなければならないという制約があろうとも、
論証パターン貼り付けでも、
パクリでも、
そこに自ずと顕れてしまう自分。自分を圧し殺すことなどできはしない。
日常生活の一挙手一投足、ある動作をしたときに選択しなかった空間、それ自体も表現。

自分以外の他の存在・不存在もそういった視点で見ると、実に鮮やかで濃い世界が見える。

なんかさ、もう司法試験受ける目的なんかもどうでもいいや。「とりあえず」で全然問題なくね?
他のことではなく、「とりあえず」司法試験をメインにしている。それが俺。
そして、司法試験において何をやろうと、どんな制約やつらいことがあろうと、俺は俺。

…といった境地に辿りついて、すっきり晴れやかになりましたとさ。
支えてくれた存在・不存在、ヒントをくれた存在・不存在、そしてここにある全ての存在・不存在に、感謝感激雨あられ。