Ⅰ 証明責任とは、ある事実が真偽不明のとき、その事実を要件とする自己に有利な法律効果を受けられないことになる当事者の不利益のことである。
弁論主義とは、裁判の基礎となる資料の収集・提出を当事者の権能かつ責任とする主 義である。
Ⅱ1.そもそも弁論主義の趣旨は、当事者が争訟内容を自主的に形成する点にあり、これは立証段階でも妥当する。(裁判所は、当事者間に争いある事実を証拠によって認定するときは、当事者の提出した証拠によらねばならない。:第3テーゼ)
   とすると、当事者が立証を尽くしても、証拠収集能力等の限界で真偽不明のままになりうる。
   しかし、ここで裁判を拒否すると、当事者の裁判を受ける権利(憲法32条)を制約してしまうことになる。
これを防止するため、いずれかに不利益を負わせて裁判することにしたのが、証明 責任なのである。
2.しかし、当事者に不利益を負わせることを正当化し裁判への信頼を維持するには、その不利益について相応の予測可能性が必要である。
   そこで、証明責任の分配基準はできるだけ明確にしておくべきなのである。そのため、実体法との調和を図るべきであり、①権利を根拠づける要件事実は、その権利を主張する者②権利の発生を障害する要件事実は、権利を争う者③権利を消滅させる要件事実は、権利を争う者が証明責任を負うと考える。
3.これに従って当事者は、訴訟活動を展開することになる。
すなわち、証明責任を負う当事者は、勝訴するため不利益を負いたくないだろうから、要証事実につき真偽不明の領域を超え、裁判官に確信を得させようと立証活動を展開することになる。(本証)
他方、証明責任を負わない当事者は、勝訴するため相手方に不利益を負わせたいだろうから、要証事実についての裁判官の確信を崩して真偽不明のままで終わらせようと立証活動を展開することになる。(反証)
4.このように証明責任は、当事者が争訟内容を自主的に形成する指標となる。
Ⅲ ここで、確信とは、要証事実が存在することが十中八九確からしいことを言う、とするのが実務である。
  とすると、証明責任を負い、裁判官に確信を得させようとする立証活動を展開しようとする当事者の方が負担が大きい。そして、この負担が大きい当事者は、たいてい原告である。
  そのため、かかる原告は訴訟提起を躊躇し、現状維持的な方向に流れる傾向がある。結果として、裁判制度への信頼が低下しかねない。
  そこで、特に当事者間に証拠収集能力の差、証拠偏在構造がある場合等は、裁判所は両当事者の公平に配慮しつつ柔軟に訴訟運営すべきである。
                                      以上