は、どこにあるか。

まずは、前にも書いたが
①自分よりできる人が、同じ組にたくさん入ってしまう
②試験委員との相性が悪く、会話にならない
③他の日なら得意分野なのに、苦手分野ばかりにあたる
という運の要素が目に見えて大きい、というのがある。
でも、論文でも①②はありうるんだよね。あまり目に見えないけど。

ただ①において、口述が択一・論文と決定的に異なる点がある。
それは、論文合格者という得体の知れない敵と戦わなければならない、ということ。
択一・論文の場合、答練などを通して、他の受験生の全体像がおぼろげながらもつかめるはず。
しかし口述では、俺は2回も模試を受けたにもかかわらず、他の受験生の全体像はほとんどつかめなかった。
俺はテクニック重視で受かったと思うから、口述で知識を問われたらドベの方なんじゃないか?といった思いに苛まれ、この2週間ず~っと追い立てられっぱなし。
敵の姿が見えず、合格ラインが見えない以上、トップ集団との戦いを想定せざるを得なかった。

でもその分、実力は飛躍的に伸びたと思う。出題者側がこういう教育効果を狙っているのなら、マジすげえ。
司法試験、最後の最後まで甘いところは一切ないなあ、法曹になるっていうのはこんなに大変なことなんだなあ、俺なんかが法曹になっていいのかなあ、と自信喪失気味でした。
とりあえず、この2週間をまがりなりにも乗り切ったことで、運動部の夏合宿経験と似たような自信(あんなつらい練習をしてきたんだから…ってやつ)はついたかもしれんが。笑

あと、原則として条文参照不可というのも、条文を拠りどころにしてきた俺には恐怖の源だった。
武器がないどころか、足場がない無重力状態に放り出される感じ。
択一では完全に条文参照不可だが、口述とは次の点が異なる。
①択一では、試験範囲は上三法だけ。口述では、両訴が加わる。
②択一では、条文が分からなかったら、その問題を飛ばせばいい。口述では、条文で詰まると先に進んでくれないことがある。自分では飛ばせない。
③択一では、過去問という代替的な足場があるが、口述では、足場にできるほど過去問などを固めることはまず無理。

夏の間に過去問に軽く目を通すくらいでは、あまり意味がなかったと思う。
論文では、答案スタイルがほぼできあがっていたからか、直前期に約2000問にザッと目を通すだけでかなりの効果があったんだけど、それを口述に類推すべきではなかった。
やはり、条文を参照できるかできないかは、大きな大きな違い。
思考の負担が重く、単に処理するだけでもパニクってしまう可能性が高い。
むしろ、択一の勉強法を類推すべきだった。つまり、ただ目を通すのではなく、1問1問パッパと「解いていく」ことが必要。基本部分だけでもいいから。

最後にもう一つ恐怖の源を挙げると、論文合格で喜んでくれた周りの人をがっかりさせてしまうのはイヤだ、という思いがある。
持ち上げてから落とすようなものだしさあ。
試験の結果は周りの人への恩返しという意識は、重すぎてあまり良くなかったかもね。