最近、友人に、法律がらみのちょっとした相談をされることがある。
責任は取れない等といった前置きをした上で、対話しながら、冷静に考えれば誰もが思いつきそうなアドバイスをするんだけど、すごく喜んでくれる。
自分が人に必要とされるのって、すごく気持ちいい。
この感覚に飢えている自分を、再発見したりもするのだが。

弁護士は、自分が人に必要とされているという感覚を味わいやすい仕事だとは思う。
でも、その感覚を味わえなくなったとき、どうなるんだろう。
その感覚を味わいたいという気持ちが高じて、偏った仕事をしてしまう危険性があるかも。

他方、教育関係の仕事であれば、現在自分を必要としてくれる人がいなくても、将来的には必要としてくれる人が絶対に出てくる、という確信を持って続けていけると思う。
これが「信念」というものなのかな。
ただ、この「信念」が高じて、独善的な仕事をしてしまう危険性があるかも。

いずれも、独占していた情報を伝える仕事という点は共通すると思う。
情報を伝えようとせず、独占し続けることで価値を保持しようとすることには、余計なお世話かもしれないが、なんだかものすごくイライラする。
ま、弁護士も教育関係の仕事も、多かれ少なかれ情報を独占することになるのは必然だが。
両者には、それを暴露する気持ちよさもありますな。