この世のあらゆる事象は価値的に中立で、それをどう評価するかは、自分に委ねられている。
事象の評価は、目的達成のための手段にすぎない。

こう考えると、目的の設定が非常に重要になってくる。
目的の設定次第で、事象の評価が変わり、主観的な世界が変わる。

前に、前後不覚・ニュートラルな状態になったと書いたことがあった。
あれは表現という目的を捨てて、価値的に中立な世界に放り出されたからだったんだろう。
そのときの自分がすがりついたのは、より良く死ぬために生きる、という根本目的。
ここから主観的な世界を再構築していった。友人に支えてもらいながら。

で、今は司法試験を楽しみ尽くすために勉強している。
論文では、過去問の分析が楽しいと感じているようだ。
そのため、ついつい2時間という枠を度外視してまで分析し、それを答案上に書きたくなってしまうみたい。
結果、時間が足りなくなる。

分析し尽した過去問や、分析する余地のない多くの予備校問題についてはどうなるかというと、飽きてしまってそもそもやる気がなくなる。
択一では時間短縮自体も楽しめているが、論文ではいまいち楽しめない。
なぜだろう?