二回試験というものを客観的に見れば、非常に「簡単」な試験のように見える。59期の合格留保者・不合格者を合計しても、全体の7%にしかならないからだ。
にもかかわらず、二回試験が恐れられている理由は、不合格によって「失われる利益」が大きい点にあると思う。任官・任検・就職内定者は特に。
これらのことから、二回試験という非常に「簡単」な試験に不合格となるのは、「失われる利益」の大きさを恐れるあまり、心理戦で負けた場合なのではないかと思っている。

また、裁判官・検察官ではなく弁護士になる自分の第一目的は、できる限り上位で合格することではなく、できる限り落ちないことにある。
そして、「簡単」な試験ほど、上位合格と落ちないラインの乖離が大きくなる。だから、二回試験対策は、このいずれに照準を定めるかによって、大きく異なってくる。
※なお、H19「旧」試の場合は、択一合格率が10%弱、論文合格率が10%強?であり、二回試験と比べて乖離がだいぶ小さいので、上位合格目的・手段と落ちない目的・手段で重なる部分が大きいとは思うが、やはりイコールではないと思う。

もうひとつ、60期以降が考慮しなければならない大きな要素として、各科目の追試(合格留保)がなくなったことが挙げられる。つまり、1科目でも落とすと不合格ということだ。このことから、以下を導ける。
・ある科目での失敗を他の科目で挽回不可
→全科目合計点勝負の司法試験と異なり、科目ごとの勝負
→科目ごとに守る姿勢が、司法試験よりも重要
(ここまでは、追試・合格留保があったときも同じ)
→追試・合格留保よりも不合格の方が「不利益」が大きい以上、科目ごとに守る姿勢が、59期以前よりも重要
・科目ごとに異なると思われる採点者の採点結果が、修習生の人生をダイレクトに左右し、かつその修習生を採用する側(採点者と同業だろう)にも影響する
→追試があるときよりも、不合格点をつけにくくなる
⇔たびたび大虐殺宣言が出ている
⇒あまり計算に入れない方がいいかも

では、二回試験の不合格原因と思われる「失われる利益」を恐れる心理は、どこから生じるのか。
①採用内定といった将来の不確実な利益を既得権益と捉えていること
②二回試験に落ちないための情報が少なく,戦う相手が見えにくいこと
から生じると思う。

①については、何も失うものがなかった時期の自分が本来の自分なのであって、司法試験に合格し、修習を経て、法律家になれそうな状況などおまけにすぎない、という感じで開き直ることができれば克服できると思うが、現実的にはなかなか難しいかもしれない。
たとえば、就活等で苦労した人は、その見返りとして既得権益化したくなることが多いだろうし、背負うものを持っている人は、むしろ既得権益化しなければならないだろう。
そういう人は、そのような自分の心理のマイナス面を自覚して危機管理しつつも、将来の不確実な利益を既得権益だと思い込めるエネルギーを最大限に生かすような対策を立てるべきだと思う。
 
②については、過去の神々から伝承されてきた、上位合格のための情報は結構ある。
しかし、どの程度の失敗をすると落ちるのかといった落ちないための情報は、
 民弁:不動産の即時取得を書いて落ちた
 刑弁:被告人が無罪主張しているのに,無理だと思って情状弁護して落ちた
 民裁:訴訟物や権利自白の成立時期を間違えた結果,配点箇所にほとんど触れられていなくて落ちた
等の伝説(他にもあったら教えてください)くらいしかないと思う。
これらの伝説から考えられるのは、
・一発不合格事由がある←刑弁(民弁も?)
・点数で決まることもある←民裁(民弁も?)
ということだ。
この状況においては、一発不合格事由の情報収集と、合否ギリギリの点数の起案の収集をすべきだと思う。でも、合否ギリギリの起案を他人に見せてもらうことは難しいので、自分で狙うしかないと思う。ただ、ギリギリ狙いが癖になってはまずいので、全科目で狙うことは避けた。

各論的な分析は、全科目の1回目の起案が返ってきてから書こうと思う。
起案による訓練の機会が少ない(民弁の3回以外は2回ずつ)のが厳しいなあ…。