いつからかはわかりませんが、

気が付いたときには、

私は母親を苦手としていました。

 

もちろん愛情を受けていたことはわかっています。

小学校のとき、

盲腸で手術したときには、

病院の簡易ベッドで、

2晩ほど添い寝してくれて、

そのときは優しかったなあ。

とか思い出します。

 

でも、なんだかんだと思い出すのは、

やっぱりヒステリーに怒っている姿です。

ほんとうに嫌だった。

ヒステリーに怒る母親こそ、見苦しいものはない。

人類史上最低に見苦しいものの一つです。

 

今、親となって思うのは、

子どもは他人なのです。

自分が思うようには育たないのです。

 

親が思うように勉強してくれなくても、

それは子どもが勉強することに

そこまで価値を見出していないからなんだと思うのです。

勉強に限らず、

すべてにおいて、

子どもは親と価値観が違うこともあるのです。

 

子育てが思うようにいかないときに、

ヒステリーに怒ってなんになる。

嫌な思い出として一生心に残るだけなのです。

 

母親に、

一つ感謝していることがあるとすれば、

立派な反面教師であったことです。

自分は子どもに対して、

ヒステリーに怒らないと決めています。

 

いやいや期に、

ヒステリーに怒りそうになったことがありましたが、

そんなときは、ふて寝をすると決めていました。

 

一旦子どもを放置して、

自分はふて寝し、

冷静になってから話しました。

 

子どもがある程度成長してから思うけど、

ヒステリーに怒るくらいなら、

食事のマナーも、好き嫌いも、トイトレも、

とりあえず放置でいいと思う。

まだそのときではないのです。

 

その時がきたら、

怒らなくても、

子どもは自然にできるようになる。

その時でもないのにやらせようとするときは、

「友達のAちゃんはできてるのに」と人と比べたときじゃないでしょうか。

 

子育てで一番いけないことの一つが、

「人と比べる」という行為じゃないでしょうか。

 

子ども一人一人に成長の進度は違うのに。

 

人と比べるという行為になってしまうのが、

小学校受験。

中学校受験。

偏差値は人と比べてでてくるものだから、

偏差値が下がったと怒るのは、

結局人と比べて怒ってるのではないでしょうか。

 

高校受験になれば、

子ども自身が気付いて選択する。

勉強しないと。と気づいたら、

勉強しろと言わなくても自然とするようになるのに。

 

言いたいことが山ほどあるけど、

長くなったので一旦おしまい。