義実家の片付け、やっと終了しました。
そして、取り壊しに入りました。
良い家なんですが、躯体に傾きが出ていてリフォームは新築と同じくらいの費用がかかる。
存続は無理でした。
さーびーしーいー!
ですが、これも仕方ない。
片付けは、いやー、本当にしんどかった。
大事な物が違う夫に締め出され、途中までは片付けしたのはほとんど夫ですが、私はゴミ捨てのために早起きして電車に乗り通うのはくたびれました。
二、三日休みましたが、まだ疲れが取れません。
心も寂しくて、心底疲れてしまったのよね。
夫もそう。
それにしても物がありすぎました。
家全体が物に埋まったんですね。
片付けたら美しい家が現れて驚きました。
こんな家だったのか。嫁いだ時にはすでに物が多くて、ここまでとは。知らなかったです。
戦前の頑強な家具が大きな倉庫三つに折り重なっており、私たちだけではどうにもならず人様の手を何度も借りました。
倉庫の一つは、八畳のプレハプで、それも天井までみっちりびっしり。
夫の赤ん坊の頃からのものまでありました。
捨てられない時代の人たちの気持ちはわかりますが、処分する方は命が削られますね。
新居で使うものは家具デザイナーさんがメンテナンスしてくださって、いらない家具は引き取ってくださいました。
綺麗になって、好事家に売っていただけるなら、家具たちも喜びます。
建築的にも丁寧な仕事の良い家だったので、皆さんがいろんな部分を引き取ってくださいました。
ありがたし。
義母は城南五山の御殿山の広大なお屋敷(今はマンションが建っています)で育ったお嬢様で、娘時代は華やかだったんだろうなと思っていました、が。
それを証明するように、銀座の名だたる老舗呉服屋のたとう紙や、桐箱がいくつも出てきて、ため息が出ました。
着物はまだ全部は見ていません。
夫が倉庫に入れてしまっています。
これから私がゆっくり見ていきます。
紐も、ね。
捨てられたし。
けっきょく思い入れが強すぎて夫が処分できずに、私が引き継ぐことになった義母の嫁入り道具の桐の箪笥二竿(戦前の品)。
空っぽのはずの箪笥の中を最後に確認したら、引き出しの奥の下紙に隠れて、一枚羽織が出てきました。
色鮮やかな美しい京紫に、朱の絞り。
娘時代のものだと思います。つまり、戦前。
私が袖を通すことはできないけれど、小さな私の空間(仏間兼)に飾ろう。
唐子の羽織裏が可愛いです。
夫が育った家。義母が大切にした庭に花が咲き乱れた小さな家。
寂しいけれど、私も新しい家を大切にしていこうと思います。