眠れる日々。発熱なし。胆汁量良好。

先日飲み間違えたカリウムは、

近所の内科と薬局に母に行って貰って補充。

 

傷・ドレーン跡からまだ出血あり。(免疫抑制剤で、頂いた肝臓は受付るようにして、副作用として傷の治りが遅いので、まだ、傷口がかぱって開く可能性もあるんだと、だから腹筋は1月からと怒られた。てへぺろ)

 

あんなに心配してた食生活は

家族と時間差でリビングで寛ぎながら

食しております。

 

今のところ、カレーがナンバー1!

朝起きたて、昼と夜の間、にブドウ糖じゃ我慢できなくなって、個包装!の菓子類。柿の種わさび味、ルーベラ(byブルボン界のシガーロールクッキー私の大好物)を食しております。塩分はダメよと言われましたが、その分動けばいいよね、と。

(ダメ主婦に成り下がってしまいましたが。今は許せよ。ま、前座時代と変わらんか。)

 

なんですかね。

本日のタイトルにもありますが、常に闘ってるからか。

世代でもないのに、懐かしのアニソンで歌えるようになった、北斗の拳のオープニング曲「愛をとりもどせ」クリスタルキングが私の頭ん中で叫んでます。

小学生のころ、少年ジャンプは毎週火曜だったか買ってて。

ドラゴンボールが第一話の「ブルマとパフパフ」ぐらいから下ネタは素晴らしいことを知って。

「はあ!」

「ダダッ!!」

「スタッ」

「カカロットォ!!!」

と擬音で一話終わるくらいまでは読んでたかな。

魁男塾の絵がえぐくて嫌いで飛ばして、漫☆画太郎先生の珍遊記は愛読してて、映画も見に行ったけど。

そのエグイことが日々訪れるし、常に闘う姿勢だからか、あら馬の目の前にあるすべて、原哲夫先生の画風に描かれる。


私が居心地がいいのが入院前の日常。母と同居4日目。早くも母とぶつかりイライラしてきた。感謝しなきゃいけないのに。イライラは肝臓に悪い。

母とぶつかり稽古し出したのは、私が長女を出産してから。私が母になってからだ。それまでは「母ちゃん!聞いて!助けて!」だった。

今の出産パターン、産後の過ごし方を学んだ私と、昔の知恵を出す母のやり方とかみ合わなくなって、「もう帰って」と産後2週間で追い出した。子供たちが大きくなってからは私の方が母業現役となり、また娘達が自立して、入院中は「孫が言う事を聞かない。」と、病室で母と孫の戦いをリモートで相談される日々だった。娘達も限界なんだろう。母もマッサージ店に度々息抜きに行くようになった。

うちら女達は同じ特性をもっているので、距離が必要だ。しっかりちゃんと親子喧嘩をするが、

言いたいことを貯めないからいい。互いにぶつかっても、1秒後にケロッとして前に進む会話をする。

母「じゃ、26日に鹿児島へ帰るわ。27日に絵の会の打ち合わせに参加できるし、鹿児島の落語会も打ち合わせしてくるね。」

「私絶対25日に入院しないから安心して帰って。」by米倉涼子になりたい

 

買い出しは娘達と、通販で行ける。注文した。

ずっと立っていられるし、風呂掃除も、掃除機かけ、掃除機内の掃除もした。腹に力を入れないように極力して。

あんなに重力を感じた階段も今は息切れなく難なくいける。

娘達の弁当、食事も作れる。味見はできないけど。

 

私は気力(執念)が強い。らしい。最後の落語会と決めた会を終え、入院してから、数値が悪化した。通常もっと悪化しててもおかしくないのに、さあ移植だ、この身体好きにしてとなったとたん、ビリルビン27に保ってたのが、術前37まで行って、術後脳症になりかけた。

医者もなんでこんなに黄疸がひどいのに普通に喋れるのか、腹水もないのか、わからないとよく言っていた。

脳症になったら落語なんてできやしなかった。術後も気力で復活した。麻酔でボケたくないと、紙を貰って覚えていることをメモし出し、、一日12リットル点滴で体内に生理食塩水を送りこみ、肝臓を体内培養してほぼ元の大きさに育ててる最中、むくみ倒して苦しんだけど、気力で起き上がり、歩きまわって元に戻した。(人間は基本縦の作りだから、寝たきりより起きてた方が戻りが早いらしい。)

ここまで来たら再入院はしない。絶対に管を外して日常に戻す!!


北斗の拳の話はよく知らないが、登場人物の1人のように、今のあら馬は目がバキバキしていて、いつも以上に圧がひどいかもしれない。

お母さん落語家売りなのに。