みえない世界をカタチにする能楽:能と狂言のブログ にようこそ
この松は、
静岡県静岡市、三保の松原のシンボルツリー
能『羽衣』に登場する天女が、その羽衣を掛けたという、羽衣の松
(三年前の写真ですが・・・)
三代目の松だそうです。
9月6日の名古屋能楽堂九月定例公演では、
舞台の上に、
楽器を担当する囃子方と、地謡と呼ばれる謡を担当する出演者のために
透明の衝立 が置かれていました。
名古屋能楽堂さんが準備されたそうです。
コロナ対策ですね
この日、金剛流の能『羽衣』では、舞台の上に、
「作り物」と呼ばれる能の舞台装置、「松の立木」が置かれました。
三保の松原の羽衣の松です
その様子を、
「能楽イラスト+++」さんのイラストをお借りして
写真で合成してみました。
ちょっと変ですが(笑)
正面の囃子方は、
右から、笛(ふえ)・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)・太鼓(たいこ)と並びます。
向かって右横が地謡(じうたい)で、女性の能楽師さんが5人座りました。
羽衣の松は、舞台前方に置かれました。
大人の背丈ほどの、かわいらしい松です。
こちらの写真の松には『松風』とありますが、
台の部分が、このように丸い形の枠で作られることもあります。
「作り物」は、上演ごとに能楽師さんによって手作りされます。
竹を用いて骨組が作られていて、
その上をボウジと呼ばれる白い包帯状の布で巻きあげて仕上げてあります。
『松風』の写真の右下にあるような、
水桶と小さな手押し車の場合は、色鮮やかな布が用いられています。
竹は軽くて、組み立て・分解が容易にできますし、
日本のどこでも手に入りますから、旅興行に便利です。
合理的な発想と遊び心によって作られている「作り物」ですが、
シンプルなデザインであることから、能の象徴的な表現と調和します。
ちなみに、この写真の作り物は、名古屋能楽堂で公開展示されています。
すべて、観世流能楽師・今沢美和さんのお手製で、
10分の1のミニチュアサイズです。
名古屋能楽堂にお立ち寄りの際には、お見逃しなく
能『羽衣』です。
まず、漁師である白龍(はくりょう/ワキ:橋本宰)が三保の松原に登場して、
(作り物の)松の立木に掛けられた、美しい衣を見つけます。
白龍が、この美しい衣を家の宝にしようと考え、持ち帰ろうとするところに、
衣の持ち主である天人(シテ:熊谷眞知子)がやってきて、
それは天人の羽衣だから返してほしいと頼みます。
すると、
天人の羽衣を手にするという奇跡にであったのだから、
羽衣は国の宝にしなければならない、などと言いだす白龍。
これを聞いて天人は、
羽衣がないと天上世界に帰ることができないと、泣き出します。
さすがに気の毒に思った白龍は、天人に提案します。
天人の舞楽を舞って見せてくれたなら、羽衣をお返ししましょうと。
天人が、羽衣が無くては舞が舞えない、と言うと、
白龍は、羽衣を返したら、舞を舞わずに天に上がってしまうつもりだろう、
と疑います。
ここで天人は断言します。
「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と。
これを聞いた白龍は
「あら、恥ずかしや」と我が身を恥じて、羽衣を天人に返すことになるのです。
『羽衣』の前半には、このように、
白龍と天人の問答、つまり会話で進行する場面が多くあります。
その中に、天人の印象的なセリフがあります。
「疑いは人間にあり」
この言葉、胸にグサッときませんか?
人間は常に疑いの心を抱いてしまう・・・のかもしれません。
注目したいセリフがもう一つ。
「人間の御遊のかたみの舞
月宮をめぐらす舞曲あり
ただ今ここにて奏しつつ
世の憂き人に伝ふべし 」
現代風に言いかえてみましょう。
天人である私が、日本に天降った記念の(かたみの)舞として、
月の都・月宮殿で天人が舞っている舞曲を、
ここでお目にかけましょう。
この世で苦しみを味わっている人々の心を慰めるために、
あなたは、この舞を覚えて伝えていってください。
天人は、憂き世に生きる人間たちの心を慰めるために、
白龍に舞を教えた、ということになります。
そう考えると、なんだか心がじわっと温かくなるのは、私だけでしょうか。
こうした白龍と天人とのセリフのやりとりが終わって、
天人が羽衣を身につけると、
能の後半の、舞づくしの場面に変わります。
天人が羽衣を身につける場面は「物着(ものぎ)」と呼ばれます。
普通は、舞台の奧へ一旦下がって、後ろ向きの姿で行われます。
ところが、今回は
金剛流の「床几之物着」という「小書き」がついていたので、
いつもと異なる演じ方(演出)がいくつかありました
大鼓と小鼓が「アシライ」を打ちだすと、
天人は、いつものように後には向かないで、
舞台の中央で前を向いて床几(鬘桶:筒型の桶)に腰掛けた状態で、
紋付袴姿の後見(こうけん/宇高竜成)によって「長絹」を着せてもらいます。
「物着」の様子を観客に見せないようにするのではなく、
思い切って舞台の進行の中にとりいれてしまったんですね。
新しい場面が加わったという印象でした。
また、舞の場面では、
いつも舞われる「序ノ舞」というゆっくりとした舞が省略されて、
「破ノ舞」というテンポのよい短い舞のみとなりました。
最後の場面では、
空に浮かんだ天人が、宝物を降らして日本の国土に施し、
富士の高嶺に上って霞にまぎれて消えてしまう様子が謡われます
ここで、
揚げ幕が、揚幕の竿に巻かれてロールスクリーンのように巻き上げられました。
天人は、一旦幕に入って・・・振り向いて・・・、
地上(舞台)から見送ってくれている白龍の姿をながめます。
すると、揚げ幕スクリーンがスーッと降りていってフェードアウトとなりました。
天人の冠に立てられていたのは、白蓮。
この日の能面は、
天女や女神のための面「増女(ぞうおんな)」ではなく、
金剛宗家所蔵の「花の小面」の写しだったということです。
とても愛らしいお姫様のような天女でした
いつもとは一味違った展開の『羽衣』を楽しみました