おはようございます(❁´◡`❁)
堀川通り 寺の内通り角です。
寺之内通りを西に向かうと
北村徳斎帛紗店の前を通り抜けて
程なく 妙蓮寺へ
妙蓮寺が私の親父の遊び.場所で、毎日のように野球等をしていたようです。
ここから西へ少しの所に親父が生まれた家がありました。
その家は ごく普通の奥深い町家風の家でした。
今は残念ながら家は解体され売却さています。
親父は三男坊故に結婚後,妙蓮寺斜め向かいの路地の長屋へ移り住みました。
この路地の長屋で私は生まれました。
路地の途中にある地蔵さん
「見受け地蔵」とも「足ぬき地蔵」とも呼ばれています。
島原の名妓 「吉野太夫」に深い関わりがあるとか❔
吉野太夫は 和歌 俳諧 琴 書道 茶道 華道等を極めたといわれています。
灰屋紹益も本阿弥光悦とも交流があり、茶の湯や文芸を学んだ文化人です。
二人は結婚を反対されますが、後にめでたく夫婦となります。
しかし吉野太夫は38歳の若さで病死されます::>_<::
二人の墓は京都鷹峯の常照寺に祀られています。
さて智恵光院通りに戻って
よく覚えています。
紀之政(呉服屋)さんも 荒木佛具屋さんも...
一番変わったのが こちら
「八勘餅」 という和菓子屋さんでした。
寛政二年とは 230年前 o((⊙﹏⊙))o.
こちらの息子さんは、元阪神タイガースの正捕手 徳網茂さんです。
戻りますが、本家の次男さんも 社会人野球選手でした。
ザ•男前で(◔◡◔) よく西京極球場(現わかさスタジアム)へ応援に行きました。
大宮通りへ 角にあるのが
たんきり飴
北に向かうと鰻屋さん 「梅ノ井」
仕事仲間5~6人で行くときは、いつもあみだくじで一人払い
下の部分を折り曲げて隠し上に名前を書き横線を加筆
下へ角々を辿って...
当たると、その日のお手当が無くなり赤字でした😥💦
大宮通りをさらに北上
ここに映画館がありました。
名前は「帝国館」
子供の頃から「ていこくかん」と呼んでいました。
終戦後 「大宮東宝」と改名させられ?ましたが、閉館になるまで皆んな「ていこくかん」と言っていました。
この北西にある神社が「ななのやしろ」
小学生時代 6年間毎日この神社内を通り抜けていたのに
私自身が思い違いを ???o((⊙﹏⊙))o.
納得できないのでもう一度観に行きました。
神社が多くの土地を売却 私の歩いた道が無くなっていて南北に通り抜けする事が出来なくなっていたのです。
無残に伐採された椋木(むくのき)の大木 二本あったのですが...もう一本は見つかりませんでした。
元々参拝者も殆どなく
今のご時世 しかたがないのかも...
最後まで観て頂き 本当にありがとうございました。