大徳寺は京都市北部 紫野にある臨済宗 大徳寺派の本山です。

 

広大な敷地に20余りの塔頭(たっちゅう)があります。

 

常に公開されているのは、わずかです。

 

まず最初に目に入るのは、大きな 山門 金毛閣です。

 

 

 

 

 

 

 

 

千 利休居士が この上層部を完成させて そこに自身の木像を置いた事に当時の天下人

 

秀吉公が激怒 切腹を命じられた一因となっているようです。

 

 

少し北へ向かうと聚光院があります。

 

 

 

 

 

  

聚光院には利休居士の墓があり茶道三千家の歴代の墓も並んでいます。

 

毎月利休居士の命日28日には三千家持ち回りで法要が行われます。

 

茶席も設けられますが、あくまでも法要が主体です。

 

 

聚光院は基本一般公開はされていません。

 

  

 

一番行きたかった高桐院(こうとういん)に向かいました。

 

戦国時代は智将と呼ばれ 後になって利休七哲の一人として名をなした

 

細川忠興(正室はガラシャ婦人)が建立された寺院です。

 

 

 

 入り口です

 

 

 

 

   

 

長い間修理中であったのですが久しぶりの拝観再会のお知らせ。

 

受付の前にお祝いと思しき胡蝶蘭の花が飾ってありました。

 

 

 

 

 高桐院の代表的な風景です。

 

 

 

 

 

この右側の門の屋根覚えておいて下さい。

 

 

 

 そして 庭内へ

 

 

 

 

緋色の絨毯が敷かれた縁側から広い庭が見渡せます。ここに座ってのんびりとするのもいいと思います。とても広い庭です。

 

 

 

                    

  この広い庭以外は

 

 

 

  庭内を歩きまわれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三斎は忠興の別称です。さらに奥には

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 邸内に戻りました。

 

 

 

 

茶席 松向軒 珍しい黒壁でさらに二畳台目の狭い茶室です。とても薄暗いです。

畳2枚ですから狭いです。 忠興公は瞑想にふけいって幽玄の世界に入りこんだのではないかと思います。

  

 

 

仏間に掛けられている「夢」の一字 茶道では法事や遠忌のような仏事に使われる言葉です。

 

  

 

  

 

 

さすがです。花を生けたこともない私が言っても…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぱい鬼瓦の写真を撮りました。  

 

実は この鬼瓦を造ったのは私の祖父ですから・・・

 

この鬼瓦は楽焼で出来ていると、親父から聞いていました。

 

祖父と楽家とは家も近くて、仕事の繋がりもあったようです。

 

ただ楽焼は非常に柔らかくて、壊れやすい陶器ですから瓦には向いていないと聞きました。

 

土は楽用ではなく恐らく瓦用の土を使ったと思いますが・・・

 

 

私が3~40年前に撮った写真です。

 

 

 

 

写真では人の姿は写っていませんが、たくさんの拝観者がおられました。

 

皆さんカメラやスマホで撮影されていました。どこでも撮影できるのも少ないです。

 

ほとんどの人がお互いを気付けあいながらの撮影でした。青い目の外人さん達もたくさんおられました。

 

 

これから紅葉のシーズンになれば、かなり混むと思いますが…

 

   

 

 

 

 

 

 

受付のご婦人も、とても丁寧な応対をされます。これ以外の見どころいっぱいあります。

 

大徳寺に行かれたら是非とも一度立ち寄って下さい。 特に竹林は外からも内からもとても

素晴らしいです。トイレのすぐ右側にある鬼さんもちょっとだけ、見てやって下さい。

その後今宮神社の横にある あぶり餅でも食べてほっこりしてください。

  

すぐ 近くにありますから・・・

 

 

 

 

 

      

最後まで観て頂き  本当にありがとうございました。