私の父は明治生まれの三男坊 私が生まれて、路地の長屋の借家住まいのスタートでした。
でも戦後まもなくの時代 食べる事すら満足に食べられなかった気がします。
遊ぶ事はいっぱいありました。チャンバラ メンコ ビー玉 鬼ごっこ 縄跳び コマ回しetc...
正月には羽根つき 凧揚げ 夏休みには加茂川で、どんとの下で泳ぎのまねごとを 河原でのゴリ摂り
近くの船岡山では セミや ぶんぶんや トンボや 玉虫 いっぱい、捕れました。当時の船岡山は、私達子供にとっては未開のジャングルでした。道なき道をかき分けて冒険した思い出が今でも、はっきりと覚えています。
梓みちよさんの歌「小心者」の世界です。
しかし年頃になると、やはり自分の家の、見すぼらしさが、恥ずかしいと思うようになりました。
我が家は浄土宗です。お墓は黒谷さんにあります。
正式名称は紫雲山 金戒光明寺(しうんざん こんかいこうみようじ)
とても立派な山門です。元々黒谷さんは、小高い所に位置しており、後に
城郭構造に改められ、幕末には会津藩の本陣となったようです。そしてあの新選組の発祥の地とも言われています。
京都市中を見張るには、もってこいの建物です。
山内塔頭(たっちゅう)は、たくさんあります。幕末の頃 会津藩士約1000人が方丈や宿坊に
常駐していました。
少し 行った所に
すぐ、近くに話題になったちょっと不思議なアフロヘアーの、お地蔵さん
こちらが 御影堂です
この左手前に、近年きれいな茶店が出来ました。それまでは、今にも壊れそうな茶店が
しきびと、線香だけを、置いてありました。
近年 観光客も増えて新しくなった茶店です。何よりも、ありがたいのは、
この裏側にあるトイレです。
ともかく とても綺麗です。
赤く塗られた、門構えの、お寺が私共のお世話になっているお寺さんです。
朱塗りの門構えのお寺さんは格式が高いそうです。
そして私には、少し気になる塔頭が・・・
拝観拒絶の札が貼ってあります。「淀看の席」 一度見たいものです。
それにしても、こんな所から淀川が見えるなんて・・・
父は三男坊 本家の墓には入れず、仕方なく墓地の小さな借地権だけ持っていました。
母が亡くなった時 正直言って、墓石など、とても買えませんでした。
そこで造ったのが、時代劇に出てくる木の柱に小さな傘の墓標でした。この広大なお墓の中
目立ち過ぎました。
特に、お彼岸の時には、時間をずらして、お参りしました。母の死後10年後に
父も亡くなりました。享年97歳の天寿を全うしました。
私は父のことを良く思っていません。勿論父も私が大嫌いだったと思います。
だから、私は息子の足を引っ張る事は絶対にしてはならないと、心に誓っています。
このお墓ディスカウントショップで買いました。とても格安!色々と心配しましたが・・・
この日は、めったに通らない、北門から帰りました。ほんの4~50メーター右に
真如堂があります。紅葉の名所で有名です。
陽成天皇神楽岡東陵(平安時代前期 57代天皇)の陵墓が、こんな閑静な住宅地に
あったとは、全く知りませんでした。とても、整備されていました。
帰り道 とても綺麗な虹が・・・我が家は北のはずれ冬になれば、よく時雨が・・・
虹を見るとロト6を買います。デッカイ夢(600万分の1の確率)を追って・・・