空海からの尊い伝言(24) | アトランティスからの伝言

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かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ?

 

 

現実創造力…。

 

不思議な言葉だ。

 

今、目に映る世界、手で触(さわ)れる物質、語り合える相手、記憶の中の様々な体験…

 

それら、目の前を現実として過ぎ去った事象のすべてが、自分の想念が作り出した創造物だというわけだ。

 

その創り出された現実には、他人が同じ創造力によって作り上げた他の現実と融合し、その接点から全く新しい体験が生まれ、未来のありようが無限に変化していくことになる。

 

そのように受け止めてみると、どのような人との遭遇であれ、そこから生じた様々な感情、印象、出来事、人間関係には、まったく斬新な可能性と未来への希望が隠されていると言えるだろう。

 

一瞬ごとの喜怒哀楽としては、人生を痛苦の連続と信じ込んでしまうかもしれないが、大自然の摂理から眺められたとしたら、輪廻転生を通して人が生きられる事実は恩寵(おんちょう)であり、神の愛以外の何物でもない

 

点を見つめれば苦痛であり不幸かもしれない。

 

しかし、永遠の時の流れが、点の集合されたどこまでも続く線と捉えるならば、そこに究極の幸福を見出せるだろう。

 

そこに私以外の無数の人々の営みがあり、出会いという交点があるからこそ、その接点から明日の希望が生まれることになる。

 

その人が運び届けることは、今日明日の尺度では害悪と思えるかもしれない。

 

自分にとっては不要なこと、邪魔なことのように見えるかもしれない。

 

しかしどうだろう、摂理によって現れ、神の御心によって届けられた現実という贈り物を、両手のひらで目を覆った私たちの、小さな点のような視野で理解できることだろうか。

 

善悪を性急に判断し、人を非難して自らの正当性を主張する前に、その彼なり彼女なりが存在してこそ受け取ることのできる、永遠の生命の輝きこそ感謝すべきではないだろうか。

 

この世の中に無駄なものは何一つない、という箴言は大自然の摂理なる大神の約束と心得よう。

 

遥か久遠の太古、創造主なる宇宙の超意識との間に交わした永遠の契約だ。

 

その証文は今も、のちも、とこしえに破棄されることはない。

 

人は人として創られた瞬間、神の大愛の継承者となった。

 

「汝ら互いに愛し合うべし…」。

 

利他と利自は裏も表もない一体のものだ。

 

人を利することは、即自分自身のためでもある。

 

これを裏心にしたまま利を貪ろうとすれば、同じ原理で悪果が返ってくる。

 

体験を通した学びの機会は絶えないが、たまには小さな欲をかいて進級や卒業を狙ってもいい。

 

しかし欲張るべき対象がモノや異性に偏り、自らの霊性進化が置き去りにされていないか、自己点検が必要だ。

 

本来、霊性進化のための次元構造であり、永遠の生命が遊べる巨大で自由な場なのだから。

 

 

 

 

 

本文は去年12月6日から連載した「弘法大師空海からの伝言」を加筆修正したものです。

 

 

 

 

かつての美作国の北西端にあたる蒜山高原に、私がある期間職を得てその土地に生活の場を定めなかったとしたら、そのような古代国家があったことすら知らずにいたことでしょう。


三座の中央、中蒜山の麓で早朝から夜遅くまで牛舎で搾乳牛の管理作業に情熱を注ぎ、山裾の大自然のふところに抱かれつつ、移り変わる高原の四季を全身で感じながら幾年月を過ごした経験が、それから二十年以上の歳月を経た今、思いもかけない形で目の前に蘇りつつある事実を、何とも不思議な気持ちで受け止めているところです

 

 

自然流下式処理施設の草分け ノルウェー人技術者設計の北欧式牛舎

 

 

目的と意義を伴った三次元物質界の出来事は、この惑星地球で生を送る私たち一人一人が個々に体験する現実そのもののことです。

 

それらすべてが自らの想念による創造世界であればこそ、その現実クリエイターとしての自分を実感できるリアルな体験が数多く必要になるのは当然のことだと思います。

 

だからこそ特に人生の前半においては、人道を大きく逸脱しない限り、様々な人生体験が求められるのだと感じます。


私もかの高原で酪農に携わっていた当時は、種々雑多な苦しみ、悩み、葛藤、怒り、憎しみ、敵意、羨望、嫉妬などでがんじがらめになりながら、その中から生とは何か、人とは何か、死とは何かといった自分自身の課題に真剣に向き合い、未熟ながらに真剣に取り組んだ時期だったと思います。

 

山の中腹に散見される朽ちかけた古い墓石の数々を目にするにつけ、遥か昔にこの地で人生を過ごし亡くなっていった人々のことを想いながら、今生きている方々もやがて何十年かのちに死んでゆくことを想像し、自らの身も同様な宿命であることを思わずにはいられない毎日でした。

 

自分もいつか必ず死ぬけれど、人生に目的があるとすれば死とは何だろうただ朽ち果て、土に還ることだけが死の意味ならば、人生は無意味ではないか…

 

それでもなお、生きることへの執着がこれほど強いものならば、死の意味など知ることが出来なくても、本能の赴くままに生を全うすればよいだけかもしれないと。

 

しかし、刻まれた文字も消えかかり、訪れる人もいない無名の墓標たちは、死とは何かを解いてみろとばかり、声なき声で自分に挑みかけてくるのでした。

 


死への漠然とした恐れと不安は、その実態を明確に示しうる教師のいない現実の中で逃げ続けるか、正面から対峙するかの二者択一を私に迫ってきたのです。


そのため一時の避難所としてルーテル教会の信徒の群れに身を置いてみたり、「生命の實相」の谷口雅春氏に惹かれて「生長の家」を訪ねたりと宗教遍歴を重ねてみたこともありました。


それらはすべて良き体験として、以後の私の一部となり、必要な時はいつでも取り出せる記憶の引き出しの中に大切に保管されています。


人はその場その場の善悪の判断で白黒をつける前に、進んで現実という厳しさの中に身を投じ、顕(あらわ)れてくる感情をそのまま体験として刻印づける必要があるのかもしれません。


自ら引き寄せたものを身をもって味わい、その辛く苦い過去を飛躍の素材として使いこなす時を待つべきなのでしょう。


宇宙という「愛」を信頼し、自らの持つ感情体験の記憶をその中に解き放つとき、その相応しい時節の到来とともに、それまで隠されていた心の秘密が眼前に明らかにされることでしょう。


「かごめの日記」を書きながら、人生の黄昏(たそがれ)に続く道を歩みつつ、時折過ぎ去った思い出を、古いアルバムを見るように開いては一人納得している自分がいます。


人生の旅先で出会った友、別れて二度と会うことはないであろう人々、それらすべてのめぐり逢いと他生の縁に感謝して今を過ごせる自分は幸福なんだなと思います


かつて私自身が生活の場として選び、住んだことのあった土地が、現実に取り組んでいる「かごめ唄」の主要テーマと深く関連のある場所だとは、思ってもみなかったことでした。


日本原高原周辺のミステリーについては回を改めてお伝えします。


 

今日もまた、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

次回に続けます。

 

 

 

 

 

崇神天皇の皇女豊鍬入姫および倭姫による、二十数社に上る元伊勢神社創建の目的は、真の元伊勢たる吉佐宮(現在の籠神社)の存在を覆い隠し、四国に眠る地球皇家の秘宝を救世主顕現の時代まで無事に庇護する為だった。

(コミック書籍の内容とは関係ありません)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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*** ご 案 内 ***

こんにちは  ご来訪を心より感謝いたします

このブログの管理人 Hiroshi Onishi です

大切な「音のお知らせ」が届きました

消印は紀元前1万年 つまり今から1万2千年前

ものさしを替えればつい昨日のお話です

時空を超えて送られてきた 玉手箱の中を覗いてみませんか

もしかすると太古の記憶が 懐かしく蘇るかもしれませんよ

合成音声全229ファイル 総計85時間33分 1.74GB

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お楽しみいただければ幸いです 

 

 

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