後藤新平の大風呂敷!
今日は、富士山の日とふろしきの日です。
【活用場面】
目的の為には時に手段も選ばず!がむしゃらに猪突猛進!
「大風呂敷を広げる」と言えば、出来そうもない大げさな話のことですが、この諺をあだなに持つ人物がいました。
後藤新平は、非常に有能な人物で、その計画の大規模さから「大風呂敷」とあだ名されていました。
その大風呂敷ぶりを見てみましょう!(江藤新平と間違わないでね!)
児玉源太郎が台湾総督に赴任するとともに文政局長として同行した後藤新平は、当時の「阿片の習癖、島民の叛乱、群賊の横行」のなかでの統治をやってのける。
ここで後藤新平は総合的な都市づくりを行った。その財源を見出すため、台湾事業公債発行と台湾銀行創設を成功させ、阿片・樟脳・塩・酒の専売事業による歳入増加、土地調査による地租の確立を成し遂げ、台北の近代都市づくりも着手した。上下水道、道路、市域の拡大であり、インフラとしての公衆衛生と都市計画の一体化である。まさにソフトな都市経営とハードな都市建設の一体化をみごと台湾で成し遂げた。
この後、満州鉄道総裁に就任した際には、満鉄調査部の設立、鉄道の広軌化の実現、長春の都市計画、大連築港、旅順の教育機関の創設など次から次へと手を打っていった。その後の第二次桂内閣の逓信大臣、寺内内閣の内相兼鉄道院総裁に就任し、どっぷりと政治の世界に入り込み、インフラの整備に係わり続けていった。
今の日本の政治に必要な人物ですね。
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聖徳太子の豊聡耳!
今日は、竹島の日、猫の日、おでんの日に太子会です。
【活用場面】
神童と言われてた人に!信じる信じないも個人の意志!
太子会とは、聖徳太子をお祭りしている夢殿のある京都広隆寺、それに聖徳太子が建立した大阪四天王寺などで聖徳太子を偲んで行われる法会の事です。聖徳太子の命日と言われているようですが、実際は命日ではないようです。
私の時代の教科書には「聖徳太子」の冠位十二階や十七条憲法と習った記憶がありますが、今の教科書には「厩戸皇子」の名称が記述されているそうです。
聖徳太子伝説で有名なのは、「豊聡耳(とよとみみ)」と呼ばれる一度に10人の話を聞き、各々に的確な答えを返したと言う話です。
ある時、聖徳太子が人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。
この故事に因み、これ以降皇子は豊聡耳(とよとみみ)とも呼ばれるようになった。
しかし実際には、10人が太子に順番に相談し、そして10人全ての話を聞いた後それぞれに的確な助言を残した、つまり記憶力が優れていた、という説が有力であるそうですが・・・。
また、古い書物に残る記述では、『上宮聖徳法王帝説』、『聖徳太子伝暦』では8人であり、それゆえ厩戸豊聰八耳皇子と呼ばれたとか、 『日本書紀』と『日本現報善悪霊異記』では10人と記述があるそうです。さらに『聖徳太子伝暦』には11歳の時に子供36人の話を同時に聞き取れたと記されているそうです。
諸説ある聖徳太子伝説ですが、今から約1400年ほど前に現代日本のグランドデザインを作り上げた能力を考えれば、信じてみたい話ですね!
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芥川賞作家とは全然違う漢(おとこ)!
今日は、日刊新聞創刊の日と漱石の日です。
【活用場面】
出世を急がぬ男達!
1911年の今日、文部省が夏目漱石に文学博士の称号を与えようとしましたが、漱石は「自分に肩書きは必要ない」として博士号を辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学部局長に送った日に由来し「漱石の日」と呼ばれています。
漱石の入院中に文部省は、漱石の文学上の功績に対し、文学博士を授与したのに、意外にも本人が辞退したのですから、全く前例のないこととして、省内でも問題となりました。
一旦授与した学位を取消すわけにもいかず、時の専門学務局長は、4月11日に、更に学位受納を勧めますが、漱石は遂に固く辞して受けませんでした。
漱石は、個人の栄達という観点ではなく、学問の道において名利を求める気風が醸成されることを恐れ、博士号によって、「学者的貴族」が生まれて、「学権を掌握し尽すに至る」弊害が出ることが、真理の探求である筈の学問を俗化へと向かわせるという判断によるものでした。
そうして国家権力と学者が結びつくことを漱石は嫌悪していましたが、これは漱石の「主義の問題」であり、「余は博士制度を破壊しなけばならんとは迄は考へない。」と書いているように、他に押し付けるものではありませんでした。
文士という範疇には属さない、「学問の人」であった漱石に肩書きは無用だというのは自信がなければ言えることではありません。死に物狂いで勉強した大学者でありました。
「ただの夏目なにがしでありたい。」という信条は漱石の生死を貫いたものだったのです。
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