懐かしの一太郎秘話!
今日は、ワープロ記念日です。
【活用場面】
商品名を考える!
ワープロが出た頃は高かったですが、画期的な商品でした。それぞれが各メーカーのワープロを使っていて、変換が大変だったのも、もう昔の話ですね!パソコンのワープロソフトが登場し、ワープロ専用機市場は激変しましたね!
日本において、パソコンが普及した1つの大きな理由に、日本語を入力・編集できる「日本語ワードプロセッサ」の存在があります。パソコンが日本で一般的に普及してきたころから長きにわたって存在している日本語ワープロはいくつかありますが、その代表格といえばやはり「一太郎」を思い出すのではないでしょうか?
その一太郎を開発した浮川 和宣氏は、1949年に愛媛県にて誕生し、愛媛県立新居浜高等学校を卒業後に愛媛大学工学部へ入学しました。同大学では電気工学を学び、在学中に、のちの伴侶となる橋本 初子と出会います。
浮川がプログラムの名前を「太郎」としたのは、以前から、日本語名をつけたいと考えていたが、ふと浮かんだのが、この名前だった。浮川が大学生のとき家庭教師をしていた中学生の名前が「太朗」君だった。太朗君はもともと心臓が弱かったが、勉強好きで、浮川をよく慕ってくれていた。彼は、浮川が会社をつくったばかりの頃、心臓マヒで世を去った。
オフコンが売れず、落胆して家に帰った浮川は太朗君の訃報を聞き、ものすごく落ち込んだ。彼の無念さ、自分の無念さをかみしめた日の記憶が、このとき甦ったのである。「太郎」の文字は、広告代理店から、いくつかのロゴ案をもらっていたが、どれも気に入らず、浮川が自分で書いてしまった。浮川が書いた毛筆の「太郎」の文字は、Ver.4.3まで、そのパッケージデザインとして採用されました。
そして前作「太郎」の名前は、サンヨーの掃除機の商品名とバッティングしていたため、ソフトウェアの商標は、電気製品と同じ部類になっていたので、これが問題になった。サンヨー側は当初、うちの商品は掃除機で、ソフトウェアと間違えることはないから、かまわないといっていたが、たまたまサンヨーが沖電気に、太郎の商標を貸すことになり、太郎の名前は使えなくなってしまった。
浮川は頭をひねり、いろいろ考えているうち、「新太郎」という名前が浮かんだ。だが、新太郎では、将来バージョンアップして旧バージョンになったときに具合か悪い。そこで、「日本一になれ」という思いを込めて、「一太郎」としたのだ。