婦人パワー炸裂です! | 朝礼スピーチのねた ブクロ

婦人パワー炸裂です!

今日は、女性大臣の日、戦後民主主義到来の日、北壁の日、サイボーグ009にやまなし桃の日です。


【活用場面】

 女性(婦人)のパワーを活用する!


長崎の女性偉人伝「中山マサ」さんのお話です。


日本人初の女性大臣「中山マサ」は、明治24年(1891年)、イギリス人の父パワーと日本人の母、飯田ナカの一人娘として長崎市に生まれました。地元の活水高等女学校を卒業したマサは、明治44年(1911年)にアメリカに渡り、アルバイトをしながら米国オハイオ州のウエスリアン大学を卒業しました。


教員生活ののち、昭和22年 (1947年)衆議院議員大阪2区から立候補し初当選し、第5次吉田内閣厚生政務次官、党婦人局長などを経て、昭和35年第1次池田内閣の厚生大臣として入閣し、わが国初の女性大臣となりました。


就任当時、中山マサは「婦人が大臣になったからには、プラスアルファがなければ。つまり婦人問題に重点を置くということです」と、インタビューに抱負を語っている。

在任期間は約5ヶ月と短かったが、中山マサは在任中、小児まひ対策や母子家庭への児童扶養手当支給の法制化に尽力し、まさに池田内閣の看板として奔走したものの、第2次池田内閣では再任はされず、昭和44年(1969年)四男・正暉に地盤を譲り引退しました。

因みに、夫の福蔵は参院議員、長男の太郎は衆院議員、海部内閣のときの外務大臣。4男の正暉も竹下内閣の郵政大臣という政治家一家です。