地図の日に忠敬!
今日は、飼育の日、地図の日、古川際です。
【活用場面】
事を始めるに遅すぎることなし!
今日は、老いてもなお地図の作製に情熱を傾けた伊能忠敬のお話です。
忠敬は、今から約255年前の1745年に、千葉県九十九里町に生まれました。
子どものころの名前は、神保三治郎といい、そのころから、今の数学にあたる算学などを学んだといいます。また、今の茨城県のお寺で医学を学んだという話もあり、とても頭のよい子どもでした。
そして、17歳になってから、同じ千葉県佐原市の伊能家に婿養子に入りました。
忠敬が測量を始めるのはずいぶん年を取ってからのことです。
49歳になって、江戸へ出た忠敬は、子供のころからの夢だった天文・暦学について学びます。
そのころ、江戸では一番の天文・暦学の先生であった30歳の高橋至時先生の門人になりました。
19歳も年上の、田舎から出てきたおじいさんが、有名な先生について勉強を始めるには、どうしても勉強がしたいという、それはそれは熱心な気持ちを持っていたからです。
忠敬は、先生のもとで天文学や暦学を学ぶうちに、その時の暦学の問題であった、「子午線1度の長さを正確に知り、その結果から地球の大きさを求めてみたい」という気持ちになりました。
それは、南北方向の距離を正確に図り、それぞれの地点で北極星などの恒星の位置を観測し、各地点の緯度を知ることで求められます。
ですから、忠敬の測量の最初は、江戸を出て、北へ北へと距離をはかり、緯度の観測をつづけることから始まりました。
ところが、地球の大きさを求めるという目的では、幕府から測量を行うための許可が貰えず、表むきの目的は、日本の正確地図を作るためとして始められました。
測量を進めるうちに、忠敬自身も日本の姿を正確な地図、そして美しい地図として残そうと考えたのです。その後は、海岸線だけでなく、主な街道筋などの位置を正確に測量し、今残されているような地図を作り始めたのでした。
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