モルガンお雪!
今日は、大寒、玉の輿の日と二十日正月です。
【活用場面】
石の上にも3年?愛は国境や苦境を越える!
連日寒い日が続いていますが、今日は寒さが最も厳しくなるといわれている二十四節気の一つ大寒です。ご自愛下さい!
今日の話で少しでも心と体が温まると良いのですが・・・
1903年9月30日、京都祇園の芸妓・加藤ユキ(雪)がアメリカ人富豪ジョージ・モルガンに見初められて、落籍され、翌年1月20日に結婚し、渡米しました。「モルガンお雪」の誕生です。
しかし、お雪がモルガンと結婚した当時、日本は日露開戦を控え、戦意高揚の最中であり、芸妓が外国人と結婚すること自体、衝撃的であり、それ以上に世人を驚かせたのは、落籍料4万円、という巨額の金額でした。
そして、この結婚費用は約10万円だったそうで、当時の小学校教員の初任給が十数円であった事を考えると世間は驚きとともに、「玉の輿」とうらやむ人もいましたが、反面、「大金に目がくらんだ大和撫子(なでしこ)」と非難・中傷する人も多かったそうです。
お雪には京都帝国大学学生川上俊作という恋人が居ましたが、彼は家族・親族から芸妓と結婚することに反対され他の女性と結婚してしまいました。
モルガンの度重なるプロポーズを断っていたお雪もとうとうモルガンの三年越しの恋、執心に負けて結婚に踏み切ります。
結婚後、お雪は、パリに定住しますが、1915(大正4)年、夫が死亡し、以後、パリやニースなどに約30年滞在していましたが、1938(昭和13)年、帰国し京都に住むます。
滞仏時代にカトリック信仰に目覚め教会堂建設に多額の寄付をするなどしたが、平常の暮らしぶりは質素そのものだったそうです。
因みに、「玉の輿」の語源は、
徳川綱吉の生母「桂昌院」の名前を「お玉」といい、京都の八百屋に生まれましたが徳川家光の側室となり、豪華な輿に乗って大奥に入ったことから、お玉の輿が「玉の輿」の由来となりました。
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