松下村塾の教えは永遠に!
今日は、デパート開業の日とシーラカンスの日です。
【活用場面】
自己の信念を持つ!実行力!
記念日にはなっていませんが、1857年(安政4年)吉田松陰が松下村塾を開講した日でもあります。
杉家の次男に生まれた松陰(当時は寅次郎といった)は、吉田家の養子に出されました。
養父が早死にしたせいもあり、5歳の時から吉田家の家督を継ぎ、この吉田家実は藩の山鹿流兵学(学祖は山鹿素行)の師範家であったため、わずか8歳の時に藩校の明倫館で教授見習いとなり、10歳で藩主の御前で講義をしたのは有名な話です。
松陰を指導したおじの玉木文之進が開いていた塾こそが最初の「松下村塾」です。
浦賀でペリー来航を見た松蔭は、直ぐに黒船密航を企て、失敗して下田で捕らわれて獄に入れられますが、1年2ヵ月後、松陰は釈放されて、自宅蟄居になります。
家からは出ることは許されないため、当初、自宅の3畳ほどの1室でおとなしく篭っていましたが、おじであり松陰の教育係でもあった玉木文之進が開いていた「松下村塾」を引き継ぐことにした。
さて、松陰が松下村塾で門下生とともに過ごしていた頃、幕府の大老職には井伊直弼が座っており、幕府の将軍はお飾りと化していても、実質的な権力者は大老にありました。
井伊直弼は開国し、朝廷の勅許もないまま通商条約も結ぶんでいましたが、松陰の思想は、「尊皇攘夷」であったため、反幕府的思想とされ、容赦なく弾圧しました。
これが有名な「安政の大獄」です。
長州藩は初め松陰を庇護していたが、いよいよそれも難しくなり、ついには松陰は捕縛され、江戸の小伝馬町に送られることになり、切腹ではなく斬首となりました。
武士として屈辱的な刑であることは言うまでもありません。
その時に詠んだ時世の句は非常に胸を打つものです。
「親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん 」
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 」
僅か29歳という若さでこの世を去った松蔭ですが、彼の精神的指導者・論理者そして実行者としての功績は、松下村塾の門下生のみならず現在もなお多くの人々の心に残っています。
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