レッドクリフ・赤壁の戦い!
中国後漢末期208年の今日、長江の赤壁において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いが、赤壁の戦いである。
赤壁の戦いは、まさに「計」の戦いであった。
孫権を説得した諸葛亮孔明は、劉備の元に帰らず、呉の陣に留まる。孔明にとって開戦だけが目的ではなく、呉に勝って貰わなければ意味がない。呉には周瑜という智謀溢れた名将がおり、水軍を指揮させれば恐らく三国志史上、随一の武将である。
この戦いで周瑜は数々の計を巡らせ、曹操軍を翻弄させたが、いつも周瑜の策を諸葛亮孔明は読んでいた。現在は味方である孔明だが、いずれ孔明とも戦わなければならない時に自分は孔明には勝てないと悟り、何度か孔明を陥れようとする。
しかし周瑜は目の前の曹操軍100万の軍勢を打ち破る確かな策を決めきれずにいた。孔明を亡き者にしようとしていた周瑜だが、目の前の軍勢を打ち破るため孔明と相談し、互いに火計しかないと決断する。
火計を決めた周瑜はその頃、呉にいた龐統と会い、呉に協力することを約束し、曹操を尋ねた。龐統の名は広く天下に轟いていたため、曹操は喜んで会い、龐統に意見を求めた。龐統は曹操軍は陸戦には強いが水軍は弱いと指摘し、船と船を鎖でつなぎ、揺れを少なくすれば陸上と同じように兵士も動けるであろうと進言した。
曹操は龐統が呉の協力者だとは知らず船と船をつないだ。これを連環の計と呼ぶ。
これで周瑜が火計を実行したときに曹操の軍船を一気に全滅することが可能になった。