ナポレオン・ホーエンリンデンの戦い! | 朝礼スピーチのねた ブクロ

ナポレオン・ホーエンリンデンの戦い!

1800年ナポレオン戦争・ホーエンリンデンの戦いでフランス軍がオーストリア軍を破った。


 12月3日、激しく雪が降る中、オーストリア軍は部隊を4つの縦隊に分けてホーエンリンデンへと前進を再開し、リーシュの1万3300人が最左翼に、主力となるコロヴラットの2万2000人がその右に展開し、そのすぐ右に1万人を率いるベイユがホーエンリンデンへ向かう主要道路に平行して深い森の中を進んだ。

最右翼はキーンマイヤーが1万6000人を率いてイゼン川沿いに前進。


 これに対しフランス軍はホーエンリンデンから北方ハルトーフェンまでをグルニエの軍団(ルグラン、バストゥール、ネイ、グルーシー師団などで構成)で防衛し、右翼からリシュパンスなどが前進してオーストリア軍の側面を攻撃する作戦を立てた。

 

 オーストリア軍は主要道路を通ったコロヴラット縦隊が突出する一方で他の部隊の前進は悪天候もあって遅れが生じた。特に、左翼のリーシュが進撃できずにいる間にリシュパンスがその前方を通り過ぎてコロヴラット縦隊の背後に進出。オーストリア軍を包囲してこれをパニックに陥れるのに成功した。


 一方、フランス側はグルニエ軍団がオーストリア軍をひきつけるのに成功。オーストリア軍のうちリーシュとベイユの縦隊は結局まともに戦闘に参加しないまま、コロヴラット縦隊の敗北を受けて退却した。最右翼のうちシュヴァルツェンベルク率いる部隊がグルニエ相手に奮闘したものの、他の部隊が全面退却に移る中で彼らにできるのは整然と後退することだけだった。


 フランス軍は7万6400人、オーストリア軍は5万8200人が参戦し、損害はフランス軍7000人(5000人、2500人の説もある)、オーストリア軍1万8000人(1万1600人の説もある)だった。退却は壊走に変わり、オーストリア軍はザルツブルク付近で部隊の立て直しを図ったが失敗した。12月17日、カール大公がオーストリア軍の指揮官となり、彼は25日にシュタイアーでフランス軍と休戦を結んだ。