ベルリンの壁崩壊!
東独における民主化推進の声が高まり、ホーネッカー書記長の求心力は低下して、10月18日解任された。その背景には、ソ連のペレストロイカ政策の推進、ポーランドの民主化等があった。
後任にはクレンツが選任されたが、国内の混乱は収拾がつかない状態に陥っていた。
11月9日、「旅行許可に関する出国規制緩和」の政令案が東ドイツ政府首脳部に提案され、 同日の記者会見において、報道官が「国民は、直ちにベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国を認められる。」と発表。この放送を聴取していた東西ベルリン市民は、ベルリンの壁周辺に集まりゲート周辺は人で溢れかえった。
警備隊は、群衆の圧力によりゲートを開放し、東ベルリン市民は歓喜の中、西ベルリンに入っていった。
ベルリンの壁の崩壊は、10日未明から市民がハンマーや建設機械を持ち出してきて始まった。