龍体文字であなたの龍と
繋ぎます

書家♡ヒーラ
龍佳〜りゅうか〜です


ちょっと父親のことをかいてみようかな


自分に近い人が亡くなる

祖母

父親

近い人で記憶にあるのは

その二人


父の死について

心の勉強をしていなかったら

なんて自分勝手に生きた人なんだろう
と思ったかもしれない

いや、そんなことは思わなかったかもしれない

それくらい自由に生きていたひとだから


父はあまり自分のことは話さなかった


私が子供の頃のことで覚えていることは

写真を撮ってくれたこと

入学式とかね、旅行に行ったときとか

今みたいにたくさん撮れる訳ではなかったので

でも、ちゃんと残ってる



小学生のころ
妹と一緒に

夏休みには早起きして学校の運動場までいって

走ったり、キャッチボールしたり

毎日してくれた


でも、わたしは運動オンチでね

キャッチボールもまともにできなくて

ソフトボールの選手にも全然なれなかった


でも何も言われなかった
(これ、たった今思い出した)
(自分は町内のチームでピッチャーやってたくらいの人なのに)


そして、何年間か、夏休みには
前に書いたように
朝から一緒に遊んでくれた

父は私たちと遊んだ後
朝ご飯を食べて仕事に行ってた


今の自分と置き換えると…
無理だよな、そこまでできないよ、きっと



父は運動はなんでもできるから

若い時はバレーボールしてたり
地域の人とソフトボールしたり
ボーリング大会に行ったら
トロフィーいっぱいもらってきていた


歳をとってからは
ゲートボール
社交ダンスと
地域のボランティア

書き並べてみると
まあ、ほんとうに
やりたいことを思いきりやっていたように思う

仕事はね、すごい真面目だったよ
おかげで私たち姉妹、行きたい学校に行かせてもらった


そんな父も自分の病気がわかると
通院する病院を自分で決めて

いよいよ
身体が弱ってくると
入院したんだけど
ギリギリまで自分で車を運転して病院まで行ってた。

できないことが増えてきて
自分では何もできなくなって
人に頼むようになって

話ができなくなって…

もう本当に何もできなくなったとき
「もういいよ、がんばったね」
って声をかけた



母は、父がまだ言葉がしっかりしているときに
2人でゆっくりお話しできて
それはとても良かったと言っている


妹には、わたしはなんかこの日な気がして

今日は病院に絶対来てよ

と言えて

その日の夜天国へ旅立った



父の死でわたしが感じたことは

父は誰よりも自分を生きて

周りの人の不満をそんなに言うわけでもなく

周りの人のお世話もたくさんして

母に言わせると
家の中のことはあまりしてくれなかったそうで…

まあ、これはまた別問題

結果、自分を生きてた人っていうのは

一見周りに迷惑かけていそうだけれど

気がついてみると

たくさんやってもらっていたことに気づく

不思議だ

あまりにもわたしの中で

潔い生き方をしてたと感じてたので

お別れした後も

なんか満足っていう気持ちで

あまり泣けなかったのを

覚えている




わたし個人としては

もうちょっと生きていて欲しかったなぁ

今なら話せることがきっとあるような気がする。

すぐそこにいそうなんだけど

わたしにはまだちょっとよくわからないなぁ〜

そして思い出したときは

やっぱり悲しいのです



父のように昭和一桁生まれの人は

自分を生きるなんて言葉、もちろん知らないだろうし、

それを素でやっていた父はすごいのかもしれない

いや、すごかった



自分を生きた人は

亡くなってからも周りの人に
ミラクルを起こしてくれる

なので、亡くなった後も

ああ、父のおかげだね

って言える

事あるごとに

そうやって思い出させてくれる



父が自由に生きられたのは

母の存在が大きかったことは

言うまでもない



父の死は

もちろん悲しいし、寂しいけれど

思う存分生きただろうと感じたから

わたしの心は穏やかなんだなぁ…

魂になるってどんなのかしら…

なんて考えてたりね







いつかの夕方の富士山


あるきっかけで思い出したことを

書いてみました

あぁ、でももうちょっと
長生きして欲しかったなぁ
(また言ってるし)

父はどんなふうに思ってるのかな…



実はこの記事、かなり前に書いてたんだけど

なんか今な感じがしたので投稿しました。






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