暴走機関車 | 常に日本のことを考えている社長のブログ

暴走機関車

休み明けですが、昨日も日帰り出張をしたせいか休み明けな感じがしない金曜日。


久々に私の『独立記念日』を読んでみたのですが

守靖 ヒロヤ, 波多野 秀行
独立記念日―スリーエスネットワークス落合敬臣物語

改めて原点回帰出来ました。


どこで思ったかというと、最後の阿南社長のコメントを読んでなんですよね。



落合君は不利な事でも何でも話す正直者で、おまけに会社の体制には常に逆らっていた。だから周囲の社員には子供っぽいと批判され、全く認められない部分が有りましたが、私とは気が合ってました。そのため、周囲の社員からは『落合君に関わりすぎだ』、とか『何で抜擢するのかわからない』など、随分と批判されました。


中略・・・私は、自分に分が悪くても飛び込んでいく落合君に『暴走機関車』というあだ名をつけ、励ましていました。


と阿南社長からコメントを頂きました。(本の最後に載ってます。)


『暴走機関車』と呼ばれるのはプロレスマニアの私としてはとっても嬉しかったです。


何か長州の『革命戦士』や前田の『格闘王』みたいな感じでいいなぁって単純に思っていたんです。


とはいえつくづく思うのは私は恵まれていました。


阿南英樹という人が私を認めてくれた事により厳しかったですけど、色々なチャンスを頂けた事。


これは人生でかけがえのない経験でした。


もちろん親とか昔からの友達には、転勤の前日に告知する事や、夜中というか明け方まで働かせる会社の体


制を思いっきり批判される事が有りました。


でも自分自身がやると決めた事と、チャンスを逃したくないという気持ちを常に持って動いていました。


まあ親が私の仕事自体を理解してくれたのはつい最近なのですが・・・。

http://ameblo.jp/3s-networks/day-20061003.html


ただどんなに否定されようが成長する為のステップとして己を信じる事が大事だと思い常に生きてきました。


根本は私が惚れた男阿南英樹を当時の会社の社長にしたいと思っていた部分と、


当時からひたすら母に話していたのが


『ガリレオ・ガリレイも地動説が本当は正しかったのに死後まで認められず、尚且つガリレオ裁判でも負けた。結局何が正しいのかなんて終わりが来るまでわかるはずがないんだ!』


と言い説得していました。


今でもそう思ってます。


だからこそ、当時の私が描いていた理想郷は阿南さんが会社のTOPにならなければ出来ない事でした。


当時の会社の戦略上で阿南社長の部下から外されて私の理想は自分で作ると考えは変わっていきましたが、


過去も昔も私の思い描いてる理想郷を叶えるには『暴走機関車』の気持ちを忘れない事なのだ。


と思います。


途中からは自分で『爆神王』と勝手に名乗っていたのですが、暴走機関車で爆神王の気持ちを持ったままの


新しいあだ名を考えようかな。


スリーエスネットワークス 落合敬臣