私の憧れの会社 | 常に日本のことを考えている社長のブログ

私の憧れの会社

うちの社員ならけっこう知ってる人間は多いのですが、私はソニーが大好きです。


ベンチャースピリットはもちろんの事、井深さん盛田さんに対する尊敬の念がとても強いのからです。


なぜそんなに憧れているかと言うと

(何度も聞いてるうちの社員の人達はまた同じ事言ってると思うでしょうが・・・)


後に二代目社長になる盛田さんの営業部長時代のエピソードに感動しました。


皆さんも知っての通り、ソニーはトランジスタラジオを一番初めに開発した会社です。


しかし、開発時のソニーは東京通信工業という町工場で、ソニーという名前はあくまでもブランディングネームでした。


その時代に革命的なトランジスタラジオを開発したものですから、アメリカのF社が10万台発注すると言って来ました。


しかし、発注の条件としてF社の名前でOEM供給という形が条件だ。


「SONYでは売れない。当社の商標を付けさせてもらうよ。何しろアメリカでは、SONYといっても誰も知らないんだからね」


と言われたのだ。


10万台と言うと、当時の金額で20億くらい・・・。


現在の価値で有ったら数百億円になる・・・。


資金的にも厳しい状況で有ったと言われていたのだが・・・。


『せっかくSONYという名を付けたんだ。SONYという名で無ければ出す意味が無い。』


と断ってしまいました。


F社の人は


『誰がSONYなんか知っているんだ。F社は50年かかって、世界中で知られるようなブランドにしたんだ。」


F社の社長は盛田のことを、いかにも「商売を知らないやつだ」というかのように馬鹿にして言ったそうです。


『それでは、50年前、何人の人があなたの会社の名前を知っていたのでしょう?わが社は、50年前のあなた方と同様に、今50年の第一歩を踏み出したところだ。50年経ったら、ソニーを世界のソニーと呼ばれるようにしてみせる。だから、この話はノーサンキューだ』


と言って断ったそうです。


私の中でこのエピソードはとても感動しました。


当時給料も出ていない状態で、毎日夜中まで働いて、泥棒と間違われて警察に捕まった事も有ったそうです。

その中で盛田さんは自分の会社を愛して信じて目先の金よりも50年後を見据えて動いていた。


給与無しと簡単には言いますが、なかなか出来る事では有りません。


少なからずとも、このエピソードを知ったので私も今の会社を受け継ぐときに6400万円の借金を請け負った部分が有ると思います。


まだまだソニーの事は書ききれないくらい好きな部分は有りますが、一番初めに好きになった理由はこんな感じです。


憧れのソニーに追いつきたい!!


自分も井深さんや盛田さんのようになりたい!!


今でも日々思ってます!!


私の目標はスリーエスネットワークスをソニーのようにベンチャースピリッツ溢れる会社を作り、50年後にソニーを追い越すくらいの規模にしたいです。


これは今の時点でも胸を張って言えることです!


早く胸を張って”スリーエスネットワークスはソニー以上の会社だ!” と言えるようになりたいです!!


それが私に取って親孝行ではなく”井深孝行で”有り、”盛田孝行”で有ると思って頑張っています。


スリーエスネットワークス 落合