「赦したくない」という思いを赦すと、逆に赦しが起こる
何かしなければ、幸せにはなれない、という観念に気づき「何もしないこと」を赦すと「それ自体が幸せ」の只中にいると気づく
自分の中に「排除」すべきものがある、という思考を手放すと「排除」すべきものなど最初からない、と知る
ただそこには「解釈」がある
自分が採用した現実が「世界」をつくる
本来「意味などない」ものに意味を付け、そこにエネルギーを注ぎ込むのは「私自身」に他ならない
「世界」は自分がつくってる
自分が終われば「世界」「すべて」もまた終わる
逆をいえば
「世界」はすべて「自分のもの」なのだ
だから”責任”がある
「世界」は自分がつくっているんだという事に!
そして、これらもまた一つの観念である
そう「空」」はただ遊んでいる
体験を、反応を、刺激を・・・
「命」はノイズであり、反応なのだ
「狭き門」
幼い頃、家にあったジイドの本
内容を読んだ記憶はないし、覚えていないけど
聖書の言葉
「狭い門から入りなさい、滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者は多い。しかし命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出すものは少ない」
この言葉を「恐怖」で受け取ってしまっていた
幼いながらも「天国に入れるひとは僅かな人だけなんだ・・・」と
いっぱい努力したり
苦しんだり、試練に打ち勝ったりして
悟った人しか入れないんだと・・・・・
今は
ただ「じぶんにくつろぐ事」と気づいた
探す必要などないところ
だから「狭き門」などと表現したのか!!
最上級の冗談!!!
もっと解りやすく示してほしい~~~笑
先日のシェア会! ご参加の皆様、ありがとうございました![]()
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解除・解放・手放し・気づきの化学反応!!
次回は
9月25日(水)10:00~12:00
参加費 無料
ぜひぜひ、どなたでも大歓迎です![]()
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