世間の人はお前のうちは手遅れだ・・と言う。

なぜ気づくのが遅れたか?と言うと、そもそも私の情報源は母しかいない。

その母と言うと、盛大な勘違い人間(うちは大きな家(資産的に)だという

思い込み)で、恐らく地元で総スカンを食っていて、もう相手してくれるのは、

本当に人の好い時間のある人が勘違いな母の話に合わせてくれていたから、

母も全然自分が若いころ、山が儲かっていた時の感覚のまま、歳をとり、

周りは、ぼけ老人の与太話程度に相槌を打っていたのでは?と思う。

そんな母を唯一の頼りとして物事を進めていたから、最初の頃は

霞を掴むような感覚だった。

本来、父が亡くなった時点で私が引き継ぎ、色々と整理するべきだったが

母の不動産への執着がひどく、手が出せなかったのである。

「うちほどの家が」「おじいさんやお父さんが残してくれた山が沢山あるから

大丈夫」が合言葉だった。

さすがに年齢からして把握するべきだと思い、蓋を開けてみると、

資産とは値段もつかない山奥の広大な土地ばかりで現金資産はほとんどなかった。

本当に衝突を繰り返しながら整理してきた。

誰が悪いと言うわけではないのは分かっている。

でも、法律で決まっているんだよ。母よ。

身長150CMもない母が、何10キロもの重い苗木を背負って、

急な山を登って、植林し、つらい、苦労や思い出が詰まっている

祖父母から続く山だったとしても、時代には逆らえない。

その苦労のお陰で、高校から下宿し、大学まで出してもらえた。

山林収入がなければ、ずっと地元にいて、大学に行くことも出来なかった

と思う(そういう友達もいた)。

だけど、私は結婚した。妻と子供という新しい私に家族が出来た。

その家族に我が家が背負いこんでいる物を背負わせるわけにはいかない。

世間の人が「山なんて価値ないし、大変でしょ」って言う定型文のような

軽い物ではない。

管理できるだけの経済力と人との繋がりがなければ、田舎の生活は

成り立たない。

東京なら、隣に誰が住んでるかも分からない。

隣の人が死んでたとしても、気づかない。

だけど、生活はまかり通る。

東京なら現金がなくても、最後家を売れば全て解決出来る。

でも、田舎はそうはいかない。町の人達と繋がり、助け合い生きていかなければ

成り立たない。

例えば三軒隣の人の顔を朝から見ていない。

近所の噂になって昼頃には大騒ぎになるだろう。

多分、イーロンマスクが1兆円持参してあの町に住んで

お金で全て解決しようとしても、解決できたように見えて、恐らく

真の解決は出来てないだろう。ふんわりと何かにつつまれていたり

何かに成りすまして、実態が分からない。

掴んだと思えば、手のひらになく、見えたと思えば、そこには何もなく、

長年住んだ者だけしかその実態は把握出来ない。田舎とは、そういう所。

こういうコミュニティも地方衰退の一因は絶対担っているだろう。