子曰わく、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。


特に儒教の徒ではないので、こういった言葉を指針とすること自体惑っているわけで。(てか、四十じゃないし)
この時代、いや、いつの時代も「俺ってばこんなハズじゃなかったのにぃ~」と思っている人が多数だと思います。
ニートと言われる方々が300万人?いるのであれば、こういう言葉も時代に合わせて改訂していかないと、もっと惑ってしまう人が増えるよな。

しかも30代が一番多いんだろ?「三十にして立つ」なんて、古人のプレッシャーで現代人が潰されるなんてバカバカしい。
糸井さんでも誰でもいいけど、現代の人生訓みたいなの作ってよね。ほんとに。
さて、私ごとですが先日初めて診療内科へ赴き、「適応障害」という病名と些少の精神薬を頂戴して参りました。
wikiって頂ければ簡単ですが、まぁ、環境変化に伴うストレス障害です。放っておくと約70%がうつ病またはアルコール依存症にレベルアップするそうです。

今現状、この記事を読んでいるのは私のことをとても良く知る人なのでお分かりかと思いますが、ほとんどアル中みたいな生活でした。すでにこの「適応障害」の進化形態であったわけです。
そうするとですよ、そのアル中状態に至ったまでの経緯があるわけで、すなわち、以前からこの「適応障害」もしくはこれに類する「ストレス障害」であったと考えられるわけです。

と言っても、ストレス大国日本であります。私なんかより深く障害に悩んだ人、悩み続ける人は圧倒的多数いるわけです。
自分の場合は、主観としても客観としても前職でのゴニョゴニョが大きかったと思います。いや、あれはあれで素晴らしい経験と出会いを与えてくれましたから、今さらどうとは思いません。

ただ、当時同じような状況(緊張時の失語、発汗、動悸、ストレス一般)を訴えた際に、「気合が足りない!」と病院へ行くことは無駄である、という断定というか指示というか、あれはしちゃいけないよな。上記のように、時代に合わせて言葉を変えていかなければいけないと思うように、精神論で語れる範囲、境界線も変えておかないと駄目だと思う。だって、人体が変わってきているのだもの。精神とて、脳神経細胞が複雑に組み上がった物理的システム(人体)であると私は思っているので。

当時(20代後半)の私は、そう言われて病院にも行かなかったという点で努力不足だった。そして、押さえられない不安をお酒に逃げていたのだ。今はハッキリ言えるね。もちろん、お酒は好きで酒場が好きで、酒場で構築する人間関係が大好きだ。それに気づくことが出来たのはそのおかげ。

しかし、度が過ぎていた。のだと、今回気付かされた。寝ているようで寝ていなかったあの7年半で、まずは睡眠障害になっていた。そんな自覚症状は全く無かったが、いざ睡眠薬を飲んで寝た後のスッキリ感。1~2時間小刻みで目が覚めていた今までの「睡眠」とは別物だった。これが普通の睡眠なのか。。。
ご心配無いよう、睡眠薬にはまる気は無いが、普通の睡眠を知ったのは大きい。
今週いっぱいは睡眠薬を飲みノンアルコールを徹すが、OK診断が出ればまたお酒は飲む。
しかし、これまでのような飲み方にはならないだろう。「睡眠」の寛ぎを知ったからだ。
齢三十三にして反省す。
酒は程々、睡眠も愛す。
ながいき拝