数日前、明石家さんまさんのニュースでこんなのがありました。

“神対応”とよく言われているが、彼自身は「おれは人に好かれたい病やねん」と話す。

さらに、

「追っかけって、逃げなきゃ成立しないねんて」と言うと、「だから逃げてほしいねんて、追っかけの子って。でも俺は逃げないから追っかけがいないのよね。だからそういう悲しさはあるけれども。もうサインできる時間があればやったろかというだけのことだからな」

このニュースを見て
「追われると逃げたくなる」とはよく聞きますが

「逃げないと追われない」というのも改めて聞くと確かに当たり前なんだけれどなるほどね、とその視点におおいに納得してしまいました。


逃げる←追う

逃げない→追われない

狩は逃げる獲物を追うことで成立するわけで
始めから逃げない獲物を捕らえるのはもはや狩とは言わないのかも?

人は追うと逃げたくなるものだと恋愛でもよく言われる話しですが

その的は恋愛だけでなく
仕事にも言えますし

これは標的を追う側の人に逃げる標的に対して

追うと逃げられるよ

とか言いますが

逃げる側は
時間に追われる

というように
逃げるからこそ追われるのだ

と言いますね

そこで思い出すのが
ワイルドボアーのメッセージ。

「対峙」です。

向き合うこと
逃げないこと。

対峙するとは逃げないこと。

さんまさんの言う
「追っかけって、逃げなきゃ成立しないねんて」

です。

逃げれば逃げる程に
追い掛けてくるものには
いっそ逃げないで立ち向かってしまえば
もう追われない。

あるいは放っておく。

自分の中にある恐れに向き合うとか

問題に向き合うとか。

逃げる時は、逃げるのが得策だと思ってるからこそ逃げるのだろうから

逃げるというのが一概に悪いとかそういう話しではないけれど

逃げるは恥じだが役に立つ…なんてドラマがあったみたいに。

でも逃げても逃げても
万策尽きてもう逃げることが得策ではない

と思った時に初めて
対峙ってするのだろうし
だから、ワイルドボアーのメッセージがきた時は

対峙をする準備が整っている

覚悟が決まっている。

今年下半期のメッセージに「変化」というのもあったけれど

変化って慣れ親しんだところから

サナギが蝶々になる瞬間、外界に飛び出す勇気が 必要なんだけれど

そのサナギが蝶々になる「時」というのがあるように

変化が起きる時って
無意識にも準備が整っている「時」なのだろうなぁと思うのです。

それを意識的に変化を迎えるには「対峙」が必要で

でも無意識でも意識的にでも「時」を迎えたら
うまく対峙ができなくても変化は起きるのかなと。。

ただ、意識的に迎えたほうが変化の波に乗りやすいし

運命に翻弄されてる感より波を乗りこなしてる感がある

そういう違いはあるのかもしれなくて。。

下半期はその変化の波にどう乗るか

という意味でも

2017年・下半期~全ての人へのメッセージ~
2017/06/01 23:19

このメッセージにあるように滋養するとか直感を働かせるとか

ちなみに滋養のメッセージには問題から離れる

という意味もあるのですが、これは逃げるとは違って放っておく。


そういう知恵を、
総動員させて変化を乗りこなせていけたらいいですね。