先日、おばちゃんが亡くなったので、久しぶりに親戚が集まっていた。
 
私の透析となった原因の「多発性嚢胞腎」は、遺伝性の病気だ。
ってことで、親戚一同、みんな腎臓が悪いのだ。
おばちゃんは、腎臓は悪くなかったけど。
どうやら母方の血筋から来ているもので、家系図をフンフンフンと書いていくと、必ず2人に1人のようなペースで、段階をきちんと経て、遺伝されているようだ。
実際、私の家族は、母と私の2人が、「多発性嚢胞」。姉がいるのだが、姉には遺伝されなかった。
 
「針刺し痛くない?」とか、「透析後、しんどくない?」とか話が弾む。
移植もしているおじさんもいて、「順調」の様子。
「今日は、この後透析なのよ~」と、私は夜間透析へ向かう。
周りに同じ病気の人がいると、意見が聞けて、「あー、一緒~」と安堵することが多い。
 
結構みんな、長生きさん。
 
そういえば、母は、透析25年くらい?で亡くなった。
当時、透析しても、5年くらいと言われていた。
「こんなに長く透析で生きていけるとは思っていなかった」と言ってたな。
私は今、透析6年目だから、まぁ、あと20年くらいは生きるのか。
でも、ふとしたときに、「突然死んだらどうしよう」とか考えることがある。
自分が子供を作りたくなかったのは、自分と同じ病気を受け継ぐ人を作りたくなかったからだ。という反抗的感情。ここで遺伝を止めてやる。みたいな。

いま、できること
いま、やりたいこと
わたしが、生きた意味はなにか
なーんて思ったりすると、なにかを残したいと考えることが多くなった。
世間体を気にして、がまんしたこと、がまんしていること。
自由にやりたくなった。
 
たとえば、大好きな果物に大金を出したり、
高いレストランに、思い切って行ってみたり
流行りのカフェに並んでみたり、
1人で行ってみたかったところに旅行したり、
派手な色の洋服を着てみたり、
髪の毛を金髪にしてみたり、
仕事をやめてみたり、
ギャンブルをしてみたり、
臓器売買で腎臓を買ったり(←犯罪です 笑)
水をがぶのみしたり(←あ、だめだめ)
って、まだ実現できていないことはいろいろあるけど、
もっと冒険したいなぁ。