「不滅のラッキーアイドル」

遠藤誠司

1.陰鬱な雨が続く。

 ラッキーアイドルは果たして秘密か不滅か。そもそもラッキーアイドルとは何なのだ。沼の名を含む地名。地名が貼り付けられた土地にて。狂騒が起こりつつある土地にて。
 だが、既にラッキーアイドルは狂騒の渦中にあり、中庸を貫くべく狼狽えたこころを調整する日々が続くことになる。
 「狂騒とはパレードのようなもの」
 日々、楽しいパレードは続いている。祭りは終わり、決して退屈ではない日常が取り戻されて
くる。
 取り戻された日常が不滅になるものか。そして、この場合不滅は秘密として隠匿されるのか。
 陰鬱な雨が終日続いた。もののみごとにラッキーアイドル(以下ラッキー)の周辺を惨事のよ
うな濃厚な霧が覆い尽くした。今、ラッキーは盲目に等しい。だが思考は盲目だ。手探りで紡い
でゆくその思想は織物のように出来上がるのに時間を費やす。莫大な時間を費やし、しかも未完
成に終始ことするだろう。未完の思想は、だがしかし未熟な思想と同等ではない。思想の完成途
中経路の内からでラッキーの発言は発せられてきた。数十年間も。それはすべて戯言のようであ
ったかもしれない。

2.明瞭な陽光がそこらじゅうに降り注ぐ。

 ラッキーは幸福であったらしい。それは介添えされた人格に付随する多幸感だったらしい。一番近い恒星から撒き散らされた光は、その日はたまたま遮るものが少なかったせいで憚られずラッキーに降り注いだのだ。光で溶けてしまわないか不安が残った。残留した不安は後々ラッキーを狼狽えさせることだろうに。

「多くの物体は光を放たず」

 物体を曝け出し表す色は、主に一番近い恒星の光の色らしい。その色を曝け出させてくれ、光の色。本質の一部を暴き出してくれ、光の色。幸福時のラッキーのラッキーカラーは何色になりうるものか。黒が色だとすれば、暗黒に成り果てることだろう。

3.生温い幸福がそこらじゅうにばら蒔かれ。

 ラッキーの幸福は生温かったらしい。だが、冷たい幸福などいらない。人々が個人の人生をそれぞれ生き、その生の中の一部として幸福が介入してきたこともあったのだろう。人生は不滅であってたまるか。滅して滅して滅しまくるのが生命の本質だ。生じて生じて生じまくるのも、これまた人生の本質でもある。

「幸福の温度は36.5℃」

 体温と外気が平衡する時、きっと生温さは感じられることだろう。仮にラッキーが生物であったのなら、しかも恒温動物であったのならば幸福の生温さが効いてくる。徐々に効いてくるはずなのだ。微温湯に浸かり、ふやけて、ふにゃーとなってしまえ!それはそれは決して悪いことではなかったのだろう。肉体とそれ以外の外界との恒常性。ナイスなバランスは生命が存在し続ける限り、決して失われることはなかろう。あらゆるものと拮抗せよ、ラッキー。

「融合せよ、互が見境なくなる程に」

 炎天下が3日続いた3日目の朝、ラッキーはついに融けた。地面に見事に張り付き、区別がつかなくなった。そのまま地面に滲み入り、地殻を突き抜け地球の核に辿り付き一部溶けて無くなってしまった。
 炎天下はまだまだ続いた14日目の昼、極限まで小さな断片と化したラッキーは何かと融合した。そして別の何かとして誕生し直したのだが、それが一体何なのか不明だった。正体不明だがラッキーはラッキーなのでこの物語は何の差し支えもなく進行してゆく。

「行進する物語、進行ではなくて」

 進行よりも更に強い意思が介在したので行進してゆくこととしたラッキーは自らの変質に思いを巡らす。地球の深部、核内でラッキーの本体に何が起こったのだろうか。変な声は聞いたか?聞いてはいない。聞いてはいまい。苦楽を感知したか。忘却だしたのだ、感知はしていないだろう。自らが発光したか。したとしても知覚はできまい。それでは発酵して食べられるものに変質したのか。そうだ、現在のラッキーは食べられそうだ。いや、むしろ食べられる何かで在りたいと思いたい。ラッキーの主観が、衝動が、意欲が、そして単純に願望がそうさせるのだ。可食な存在としての行動が今開始された。動けよ。動けよ。

「年末が絶妙に調整され2016年が辛うじて体をなした」

 辛うじて幸福だった年が調整された。それは昨年末のことだ。複雑な記述を重ね丁寧に有効な控除を積み上げてゆく。かくして調整は決定された。納付する幸福は総量の54パーセントという無慈悲な、あまりに無慈悲な結果に。2015年は不幸で終わり、辛くて辛い翌年が勝手に始動したのだ。幸いに向かえ!動けよ。動けよ。

「秘匿にして醜態、晒された終焉」

 特殊にして新しく、人々が感嘆し続けるほど嘆かわしい事象。例へば光速を超えた外枠の膨張の事実。外枠は時間が逆行している事実。外枠の外は再び光速内の世界。外枠が内部に括れ、内部に外枠の外が介入される世界。外枠に厚みはない。異質の世界が混じり合わない境界。ラッキーの楽しい生活に隣りあわせている可能性を持つという真実。その事実は秘匿されておらず、従って醜態然としていない。其ゆえ、晒されておらず、これとは全く無関係に終焉はおとずれない。ラッキーは楽園に向かうことを決意する。楽園に進行せよ!

「行進の足並みが鈍る。鈍重な牛歩」

 楽園に向かうラッキーはのちに並走者となる存在に突然出会う。爆撃された東欧製のトラクターの陰から突発的に登場され、一方的に存在をアピールされる。初対面には双方に挨拶のようなものが必要と考えられる。ラッキーにはだが。その存在が主張することを要約すると、どうやら「存在には、存在する度合いが存在する。それは日々増減するらしく、増減の原因が不明なのだという。かく言うその存在も、自らが語るには54パーセント程度に自己存在度が減少して脆弱化を悲観しているという。「納付する幸福は総量は54パーセント(前述)」をどこかで聞き、幸福=ラッキーと勝手に置き換え、ラッキーをさらに自己と置き換え混乱した上、万難を排してラッキーの前に現れた」ということらしい。その存在を存在しないことにして楽園への歩みを続けようとするラッキーに、その存在は縋り付く、縋り付く。牛ではないのだ、駿馬の疾走をイメージした行進なのだ。振り払いがたく、ともなって歩くと重い。鈍る。鈍る。鈍る。行進が鈍るのだった。

「蔓延る葛、見渡す限りを覆い尽くす」

 併走者は植物に変化する願望を内に抱いている。地面に定着して身動きがとれない不自由を想像して夜に眠れない。繁殖する葛。蔓延って、世界を支配したいのだ。景観を緑で覆い尽くす。葉緑素が漲っているのだ。歩けないものは併走者にはなれない。決してなれない者だ。

「成れの果てに成れ、そして成り果てろ、とのこと」

 併走者は植物に進化する。葛に進化したのだ。紫色の花を咲かせたい。