ブログ更新、ちょっと滞ってたのは諸々忙しい&体調不良やったわけで(言い訳)。

 

 

風邪っぽいヤツは珍しくすぐ治ったけども(いつもながら喉の不調はしつこいけど)、全身に湿疹出来てダニにかまれたときぐらい超痒い状態は続いていて、なかなか全集中(?)でけんのよ(これは「汗詰まり」という症状らしい)。

 

 

それはともかく、7/25にみゆきさんとうちの旦那はんと天河さんへ行ってまいりましたのよ。

 

 

天河さんは奈良県の真ん中より南の方にある芸能やら水の神様をお祀りしてる神社で、一部では「呼ばれないと行けない場所」とか言われてんのね。

 

 

私はこれまで数回行かせてもらってるけど「行けなかった」ことはない。

 

 

でも現実問題そう簡単に行ける場所でもないのよね。車ないとさ。

 

 

奈良県内ってさ、実は真ん中あたりまでしか電車走ってないのよ。

 

 

南半分は険しい山々で。

 

 

そんで天河さんは電車の最南端の駅よりもまだ南にある・・・

 

 

車以外やと最寄駅からバスなんやけども、実質一日一本とか・・・

 

 

ま、それはさておき、行ってきました~

 

 

 

 

 

いつ行っても写真撮るとうっすら光がうつりこむ。

 

 

レンズの角度の問題とはわかっていてもなんか嬉しい。

 

 

 

 

裏側の入り口から見た拝殿への階段も好き♡

 

 

拝殿は残念ながら撮影禁止なので画像はなし。

 

 

今回は特別に印象的な出来事はなかったんやけど(過去の訪問時のような鹿と出会うとかアゲハ蝶と出会うとか)、風がね嘘みたいに気持ち良かった。

 

 

拝殿を出たあたりに立つと、さーっと優しい風が通り抜けてそれが何とも言えず適度にひんやりして柔らかくて美味しいの!

 

 

エアコンの代わりに家の中にあの風吹いてたらいいのに!

 

 

今回も拝殿の椅子にゆっくり座らせていただいたんやけども、もわもわ~んとメッセージが降りてきました。

 

 

それはね「雑多の中に生きよ」みたいな感じやった。

 

 

声や文字でのメッセージではないので正しい受け取りかわからんけども。

 

 

その日、平日にしては多くの人がお参りに来られていて、拝殿で目を閉じていてもいろいろな声や音が聞こえてたんよ。

 

 

年配の人の声、中年のご夫婦の声、子どもの声、蝉の鳴き声、砂利を踏む足音などなど。

 

 

それを聞くともなしに聞いてたら「この世界はちまちまとしたしょうもないことに満ちているけど、それはそれで愛おしいな」と思ったん。

 

 

そしたら「雑多・・・」って聞こえた気がして。

 

 

集中すると「雑多の中に生きよ」みたいに感じられた。

 

 

多分、スピリチュアルに偏り過ぎず、俗世間に生きながらにしてスピリチュアルな世界について考えたり受け取ったり発信していけ、ということかな、と思ったん。

 

 

あのさ、どこかの山に籠って孤独な極限生活の中で「あっち」と繋がることは、現世的困難は伴うやろけどある意味「簡単」かも、なんて思ってしまったんね。

 

 

俗世間の中でしょうもない日々のあれこれに翻弄されて生きながらあっちの世界について理解しようとする方が、もしかすると難易度高いのかななんて思って。

 

 

そして「それをせよ」と言われてるんかな、と感じたってわけ。

 

 

数秘では私の未来数は9で、これはざっくりいえば「自分の中にあるものを伝えていく」という人生の最終目標、という解釈になる。

 

 

あくまで基本数5の資質が強い私はそれを「誰かを救うため」にやる気は薄くて、自分がやりたければ、そして聞きたいという人がいてくれたらやる、という感じではあるけども。

 

 

今のところは数秘術を通して、9的なことをやってるのかもと思ってる。

 

 

それはさておき、今回の天河さん行きに関しては事前にいろいろなシンクロなども有り、この天河さん行きはどこかへ導かれる途中の通過点、という雰囲気があった。

 

 

今回のお参りそのものにインパクトのある何かが起こったわけではないけども、あの日あそこに行かなければ繋がらなかったもの、生まれなかったものがこの先大きな影響を及ぼす気配が濃厚、という感触なんよ。

 

 

それが何かは多分もう少ししたらわかるんやろな、と思ってる。

 

 

もしどこでもドアがあれば、毎朝お参りに行きたいんやけどな! ってぐらい好きな場所です^ω^

 

 

参らせていただいてありがとうございました。