人生を思ったように送れていない、と感じる人の多くは心の中の「怖さ」がブレーキになってるように見える。

 

 

私は心理学の専門家ではないけども、実感としてそう思う。

 

 

数秘を扱うようになり、そこに自分が苦しんできた時期に学んだこと(インナーチャイルドなど)を絡めて見れば、「怖さ」を持つ人の気持ちはよくわかる。

 

 

「いい子でなければ愛されない」

 

 

「勉強しないと愛されない」

 

 

〇〇しないと愛されない、という条件付きの愛情を与えられた(少なくとも本人はそう思っている)子供時代を過ごした人は多い。

 

 

もっと酷い場合は実際に機嫌の悪い親から「お前なんかいらない」とか「お前なんて産まなければよかった」と言われた人もいて、そういう人は相手の顔色に敏感になる。

 

 

こういう環境にいた人は、愛されないことを恐れるし捨てられることを恐れる。

 

 

それゆえに「愛されるためには」「捨てられずにいるためには」が物事の判断基準になる。

 

 

そして人間関係において誰かと距離が出来ると、「私のせいだ」と思う。

「私が〇〇だから相手は離れていってしまったのだ」と。

「私に価値がないから見捨てられたのだ」と。

 

 

今日私がこういう人に言いたいのは、

「もしそれを気に入ってないなら、自力でもうそこから離れようよ」

ってこと。

 

 

セッションなんかでもこういうことを言うと、「それが出来なくて苦しんでいる」とか「自分なりに(何かを)学んでそのための努力はしている」と返ってくることもある。

 

 

冷たいかもしれないけど私は「じゃあ一体なぜ出来てないの?」と思うし、「その学びって実践が伴わなければただの知識だよ?」と思う。

 

 

自分を変えたくてあれやこれや学んできた、という人とたくさん話してきた。

 

 

学びの結果自分を変えられた人とずっと変えられない人の違いは、「覚悟」と「行動」があるかどうかだと思う。

 

 

「お金を払って何かの講座を受ける」は、何かの道具を買うことと同じ。

 

 

道具は使わなければ用を成さない。

 

 

どうも勘違いしている人が多いように感じる。

 

 

高い掃除機を買って「こんなにも高い掃除機を買ったんだからこれで全部綺麗になるはず」と思ってるように見える人が結構いる。

 

 

その高い掃除機を使って「あなた自身」が掃除をするんだよ、と言いたい。

 

 

「講座を受けた」は「道具を買った」だよ、と。

 

 

たとえセッションを受けてくれた人であっても、その人の人生に私が直接手を出せることなんてない。

 

 

私はあくまで数字から読み取るメッセージをその人に伝えるだけ。

 

 

時々私の目には依頼者さんがその怖さを「後生大事に抱いている」ように映ることがある。

 

 

こちらが何を言っても「でも」「だって」と返してきてそれを手放す気が全然ないように見えることがある。

 

 

そのときは時間内で可能な限りのメッセージを伝えるけれど、セッション後に「きっとあの人は変わらんな」と虚しくなることも稀にある。

 

 

自分を本気で変えようとするときって、当然痛みは伴うよ。

努力だっている。

 

 

でも覚悟して行動すれば、必ず何かは変わる

1ミリも動かないなんてことはない。

 

 

それが出来るのは自分だけ。

 

 

ある日突然魔法使いがやってきて全部解決してくれることなんてないし、何も行動しないのに知らぬ間に消えていたなんてこともない。

 

 

私は数秘を使って相談に乗ることを生業にしてるけど、自分を自力で変える気のない人に対して出来ることって残念ながらほとんどなにもない。

 

 

だからほんまにね、

「自分を変えられるのは自分だけ」

「覚悟を決めて取り組めば変われる」

という事実とその意味をしっかり考えて欲しいなぁと言いたくて、今日は辛口の記事になりましたわ。

 

 

ま、最後の最後には「気に入らない今を変えない」選択すら、その人の自由ではあるからそれはそれでいいのかもしれんけどね、ってことやけど。

 

 

自力で変える気のある人はぜひセッションでそのやり方を見つけましょう。

セッションでは辛口なことはほぼ言わないから安心してw