子どもの頃からよく「死」について考えていました。

 

 

 

「死にたい」ではなく「死とは?」ということを。

 

 

 

夜空の星を眺めては「宇宙の果て」を想像して、「果てがない」状態をどうしてもうまく想像できなくて気が遠くなりそうになったり。

 

 

 

子どもってみんなそんな感じなんですかね?

 

 

 

 

ちなみに宇宙戦艦ヤマトが大好きな子供時代だったらしいでしよ

 

 

 

親友を自死でなくしてからは、余計に考えるようになったかも。

 

 

 

最近は量子力学やら量子物理学やらの動画をよく見ています。

 

 

 

そのふたつの違いもわからないままw

 

 

 

それにしてもこの宇宙の始まりがたったひとつの点の膨張と爆発が始まりというならば、その点はどこから来たんだろう?

 

 

 

そして本当に今在るものの全ての始まりがその点で、実は私たちは命あるものもないものも元はその点で、だからみんな考えようによっては自分の欠片なのかな?

 

 

 

とか。

 

 

 

スピの世界でよくいわれる、この世界(宇宙)はおおいなるひとつの存在が自分を外側から見たり、物理的な体験がしたいがために生み出したもの、という説。

 

 

 

それもまた量子物理学の世界の考え方と重なる。

 

 

 

そして思う。

 

 

 

その「点」がほんまにこの宇宙にたったヒトリだったとしたら、どんなに孤独だったろう。

 

 

 

そりゃあ分身も欲しくなるかもね、って。

 

 

 

「鏡」がキーワードなのかもね

 

 

 

長年スピや仏教の世界で言われていたような世界観が、量子物理学という科学と重なり合っていくのが面白くてしょうがないこの頃。

 

 

 

時間軸に対する感じ方も少し変わってきている。

 

 

 

よくよく考えたらば、なぜ進化が時間軸に沿った一方向に進んだと信じ込んでいたんだろう、なんて思うこの頃で。

 

 

 

もっと波のように、過去のいつかの時点には今よりずっと高度な文明があってそして滅び、時を隔ててまた文明が生まれ高度に成長し滅び、その繰り返しのひとつが今なのかもしれない、とか。

 

 

 

だからピラミッドの建設方法がわからないとか、そういうのも角度を変えて考えたら当たり前なのかもよ、って思ったり。

 

 

 

時間軸があるとして考えるならばそれは波のように見えるけど、ほんとのパラレルワールドがあるならば波ですらないな、とか。

 

 

 

そういうことを考え始めると何にも出来なくなるので、普段はそこそこにしてる。

 

 

 

でも近いうち、そのことをひたすら考えるだけの時間を作ってみよう。

 

 

 

なんか面白そうやから。

 

 

 

数秘5の私はいつだって面白そうなものの方に引っ張られていく人生w

 

 

 

今日はこんなの貼っときます。よろしければ~