京都 白雲神社 藤原師長さまを追って 3/11 | 白木蓮のいとおかし日記  夏は夜

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 京都うっとり平安旅①3/11より


白雲神社は  木蓮や 名古屋ブロガーさんのeggmanさんが おっかけてる

琵琶の名手  藤原師長さまが 信仰していた  弁財天を本尊としてます


京都御所内にある白雲神社

白雲神社の弁財天像(2臂の坐像ざぞう)は、『胎蔵曼荼羅』に見えるのと同じく、菩薩形で琵琶を演奏する形の珍しい像です。この像は琵琶の名手として知られた太政大臣・藤原師長ふじわらのもろながが信仰していた像と言われ、様式的にも鎌倉時代初期のもので、日本における2臂弁財天の最古例と見なされています。ねっとより

 

 藤原師長さまは   

政敵 平清盛に負けて 

尾張 熱田神宮南 井戸田に ながされ

その後  ゆるされ 京に戻る際

恋仲の娘に 琵琶白菊をのこし

京へ帰りましたとさ

娘に残した琵琶  白菊の写しは 

熱田神宮にあるそうです

この物語続きをしりたいかたは

eggmanさんの藤原師長カテゴリーを  みてください

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意外と 神社の方  
藤原師長さまは  しっていても
琵琶 白菊や 寵愛の娘の話をしらなかった



 
保延(ほうえん)4年生まれ。藤原頼長の次男。母は源信雅の娘。保元(ほうげん)の乱のあと土佐に配流。後白河院政のもとで太政大臣,従一位となるが,治承(じしょう)3年(1179)平清盛のクーデターで尾張(おわり)に流されて出家。管弦,今様,声明(しょうみょう)にすぐれ,琵琶(びわ)譜「三五要録」,箏(そう)譜「仁智要録」をのこす。建久3年7月19日死去。55歳。法名は理覚。号は妙音院。

まだありますが  抜粋です
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