朝の番組で「モーツァルトが3曲でわかる」いう企画をやっていた。
はじめの解説で「モーツァルトは短調の曲にこそ、その天才が表れている」として
紹介・演奏された3曲は、イ短調のピアノソナタから第1楽章、オペラ《魔笛》の〈夜の女王のアリア〉、40番のシンフォニーから第1楽章と
全て短調の曲だった。
「全作品中のわずか5%」とも解説されたモーツァルトの短調曲
しかし、本当にモーツァルトが好きな人に言わせると「モーツァルトの良さは、やはり長調の曲にある」と言う
…当たり前だ。95%もの曲が5%の曲より劣るなら、モーツァルトを“大作曲家“と言えるかも怪しいし、「モーツァルトのあの曲が大好き」とは言えても「モーツァルトが大好き」とは言えないだろう。
自分は、クラシックを聴き始めた子どもの頃から大人になってもしばらく「モーツァルトは嫌い」だった。
同じような曲ばかりだから😑退屈でつまらない。
けれど、その中で異彩を放つ少数の短調曲は、ほとんどが一聴して興味を惹き、好きになった。「モーツァルトの短調の曲は好き」とはよく言っていた。
長調の曲の良さをわかるようになったのは相当後のこと。
それでさえ、おそらく95%中の数%を好きになったくらいで、今もモーツァルトを「好きな作曲家」に挙げることはない。
(ちなみに、自分がモーツァルトの天才ぶりをまざまざと思い知ったのは、ディヴェルティメント K.136とクラリネット五重奏曲。いずれも長調の曲だった)
本当にモーツァルトが好きでわかる人は、その多くの長調曲をサイコーのものとして最初から文句なしに、無心に楽しめる人なんだろうと思う。短調の曲は「たまにはこういうのもいいね♪」という感じで、メインはあくまで長調の曲。
とかく異様なものやインパクトの強いものに惹かれがちな大方の現代人(自分も含め)には、モーツァルトでは短調曲の方が好まれるのだろう。だからあのような企画で短調の曲ばかりが選ばれる(人々に刺さりやすい)。おそらくモーツァルトの当時とは人々の趣味嗜好が逆転している。長調の曲は同時代的で、短調の曲は未来的なものだったと言えるかも。
(一方で、短調の曲は人間的で現世的、天上的な神品(神からの贈り物)レベルにまで到達し得るのは長調曲の中の傑作、とも言えるのかも)
モーツァルトが古典派の時代ではなく、もしベートーヴェン以降のロマン派の時期に活躍していたら
創作において、もっと自由に変化に富んだことをやっていたと思うし
短調の曲も現行の6倍、30%くらいは作っていたのでは?と思える。
モーツァルトの短調のソナタ楽曲等では、中間の長調による楽章ですら、多くの長調曲のそれとは段違いに良いものが不思議と多いと感じる自分としては
ロマン派のモーツァルトを聴きたかった。
…自分には一生モーツァルトはわからないかも😓
※モーツァルトの場合の短調曲のように
シューベルトやドビュッシーで何か1曲選んでと言われて
《さすらい人幻想曲》や《喜びの島》を選ぶと
「おまえ、本当はその作曲家のこと好きじゃないだろ?」と
言われそうな気もする。。
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