先日、テレビで映画(いわゆる午後ロー)を観た。30年前のスタローン主演の『デモリションマン』。

この映画はけっこう好きで、これまでにもテレビで放映されるたびに何回か観ているが

今この時代に改めて観ると、そこで描かれている未来の社会の在りように慄然とするところがある。

 

街で汚い言葉や乱暴な物言いを発するとAI(?)によって罰金が科せられる言語条例の施行、他人と体を接触させるコミュニケーション(握手やハイタッチ等)の禁止、性的なものは一切タブーとされ、もちろん暴力も。

過去の時代(映画が作られた当時の現代)から甦った主人公の凄腕警官は、すっかり様変わりした未来の社会に当惑し、生きづらさを覚える。電子マネー機能も備えたマイクロチップを市民全員が体内に埋め込むことを義務づけられている(なので貨幣は無い)のを知ると「ファシストのやることだ」と嫌悪する。

 

各所で「時代は変わった」と言われる世の中に生き、コロナ禍を経てきた今の我々には思い当たるものが沢山ある。

そして、そのような重犯罪の一切ない平穏無事な管理社会を作り上げたカリスマ的指導者は、裏では最もタチの悪い悪事を働く偽善者、として描かれている😈

 

30年前の映画に描かれていた未来の社会は

その30年後に当たる今の時代に、いろんな点で不気味なほど近かったわけで

考えさせられる😰

 

去年アカデミー賞授与式でウィル・スミスが、同伴していた自分の妻の、病気に因る容姿を司会のコメディアンに揶揄されたことで、ステージに上がって行ってそいつを殴るという一件があった時

アメリカの世論はウィル・スミスの方を非難した。「理由はなんであれ暴力はいけない」と。

アカデミー賞運営の処分もウィル・スミスの方に重い罰が下された。最初の“言葉の暴力”は顧みられない。

映画の中の未来人も、言語条例には抵触しないらしい言葉で主人公のことを散々罵倒していたな…。

 

その未来と今の時代が大きく違う点は、貝殻ではお尻を拭かないことと、凶悪犯罪が減ってはいないことぐらいか😑(時代と社会を操る強大な権力者が裏にいるのかどうかは自分の知る所ではない)

 

映画のラストシーン、偽善の指導者とそれが過去から甦らせた凶悪犯が滅び、戦闘の果てに壊滅した街を目の前にして途方に暮れる警察署長と、世の秩序が崩壊して勢いづく「自由の権利」を主張する荒くれた地下組織のリーダー(偽善の指導者の目の敵)に、主人公のスーパー警官は言う「(後者へ)おまえはもう少しきれいになれ。(前者へ)おまえはもう少し汚くなれ」。そうして互いにうまくやって行けと。

 

 

その映画と平行して放映されていたのが、再放送が始まったドラマ『のだめカンタービレ』

実はこっちの方を途中からメインで観ていたのだが

今見直してみると、あくまで漫画的なコメディー描写とは言え、かなり暴力的だったり、セクハラやパワハラとしか言えない行為や表現も目立つ。。

で、そんな登場人物も、根はとてもいい人として描かれてたりして、多少の暴走はあっても愉快な人々の、コミカルで他愛のない平和な世界としてまとめられている。

 

原作者の漫画家さんは、近年になって過去のそんな描写を一部描き改めたということだ。自己反省とともに。

のだめ新装版で「セクハラ描写」修正 作者が明かす「久々に見たら自分が引いたので...」: J-CAST ニュース【全文表示】

(「コンプラとかじゃないです」とは言ってるけれど、作者にもたらされた意識の変化も時代の作用じゃないかと)

漫画は後から修正もできるが、再放送のドラマでそれは難しい。冒頭で定番の、作品のオリジナリティを尊重し云々の「お断り」を表示する必要も出てくるかも。

ほんの十数年前のドラマなんだけどね。短い間に時代も随分様変わりしたということか。

 

 

この両作品、考えも性格も欠点も異なるいろんな人間同士がわちゃわちゃ揉まれてるうちに良い方向へ共に進んでゆくというのが社会の理想とされているように思える。「多様性」は今の時代の方がよほど言われているようだが、真の多様性は良い方向へ進んでいるのだろうか…。一方では「分断」の世でもある。

 

(『デモリションマン』に、時を超えてアカデミー賞をやったらどうか?「先見の明で賞」とかで👍)