毎年1月17日になると“あの日”を思い出してブログを書いていたけれど、今年はコロナのこともあって、なんだか気持ちがついていけなかったあせる

 

それと、ラジオで「“あの日を忘れない”と言われるけれど、私はもう忘れたいんです」という投稿を聞いたことも影響したかも。

 

人の思いはさまざま。

 

「忘れちゃいけない」と思うのももちろんだし、当事者としては「忘れたい」というのがある事実。

 

自分はどう思うか。

 

忘れないというよりは、辛い思いをして乗り越えてきた人たちが今の神戸を創ったんだなと思う。

そして、それを誇らしく思う人もいるだろうし、昔の神戸ではないと違和感を感じる人もいるんだろうな。

 

個人的には忘れないというよりは、“今”に至るまでには、いろんな思いがあったことを理解していたいなと思った。

 

今年の117は、なんだか違った。

 

これまでは「この日は忘れちゃいけない!」とその部分だけを強く思っていて、なんで忘れちゃいけないのかってことは置きざりにしてたって気づいた。

 

そして、117になるとなんでそんなにイキり立って「忘れない!」とか言っていたのか?と自分を振り返ったりもした。

 

昨年から人と接することが制限されていて、内省することが増えてきてて、そうしたことも影響してたのかな。

 

いずれにしても、なんだかいつもとは違った117だったなぁ。