インターナショナル・オーディオショー2016”東京。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
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本年も又 毎秋 恒例のインターナショナル・オーディオショーの開催時期が到来した。本年は来る9月30.10月1.2。の三日間 有楽町の東京国際フォーラムにて開催の運びとなっている。さて今年はどの様な展開が待ち受けているのか 今から甚だ待ち遠しい限りである。言うまでも無くハイエンドオーディオは各メーカーが満を持して送り出す数多の最先端オーディオ機器をユーザーが独自の感性に基づき組み合わせ孤高の言わば理想のコンポーネントを構築し最高の再生音を奏でる事を目途として取り組む極めて高度な趣味性を持ったものであり、優雅で ある種贅沢な香りをも醸し出す世界と言っても過言ではない。しかし前々から私は 音楽家としての見地から こうした近視眼的見方 捉え方を【是】としてはいない。はっきり言えば この趣味は贅沢でも何んでもなく音楽の【美】を求める時 必要不可欠 むしろ必然的思考と考えるのが当然だと思うからだ。【特に私は仕事柄 趣味と実益を兼ねている。】スピーカー・プリアンプ・パワーアンプ・CD再生を始めとする各種デジタルプレーヤー・アナログプレーヤーにフォノイコライザー その他ハイクォリティー再生の為の周辺機器は数限りなく存在 又 、各機器のユーザーが如何に理想的なリスニング環境を持っているかなど 全てがトータルで構築されなければ優れたハイコンポーネントとはなり得ない。だからこそ多額の投資をしてでも音楽の持つ普遍的・芸術的価値を余す事なく取り込む為の手段としてハイエンドオーディオはその存立に大きな意味を持つのである。趣味とは誠に奇異なるものだ。いくらある人間が精魂傾けて取り組んでいても他人が見て そこに何んの価値も見出せないのなら それは即ち意味のないもの無価値なものとしか映らないだろう。ハイエンドオーディオもその範疇に入るのか?いや だが私はそうは思わない。そして断言出来る。音楽はそれそのものが人類が生み出した偉大な芸術でありその価値は普遍的である。ハイエンドオーディオはその普遍的価値に富んだ音楽と言う最高の芸術を最も美しい形で 音で 再生してみせる手段であるのだ。従ってこれに接した者が全くその価値に理解を示さず無感動のまま そこを素通りするなどと言う事はあり得ない!。私はそう確信しているのだ。又、音楽を聴くなら【ライヴに限る】という実しやかに それを説く人も多々いるのだが私に言わせれば それは実に滑稽な話である。ライヴは確かに その空気感といい 熱量といい そこでしか味わえない感動もあろう。しかし 不幸にもアーティストがその当日、必ずしもベストコンディションでない場合もあり期待が失望に変わる事とて比較的よく見受けられる。それに対しオーディオはアーティストとエンジニアが熟考し厳選したレパートリーをベストコンディションを維持しつつ日数をかけクオリティーにこだわり作り上げたソフトウェアを最高のハードウェアに付して再生させるものであり、ライヴとは全く性格を異にする独自の正に【レコード演奏】なのである。だから当然最高水準で作られたソフトに込められたアーティストとエンジニアの思いを余す事なく再現出来るか否かはハイエンドオーディオユーザーの腕の見せ所であり 大袈裟に言えば大きな責任でもあるのだ。これはライヴとは全くの別物!横並びに考える事には全く意味がないのだ。繰り返すがハイエンドオーディオを構築するには かなりの投資が避けられない。しかし これは無限の価値を有する素晴らしい世界でもある。ワンセット数万円のおもちゃ並みのミニコンポ等で 真の音楽の良さなど味わえる筈は到底あり得ない。その確たる証を眼前にはっきりした形で提示してくれるのが今般の【ハイエンド・オーディオショー2016”《東京》】である。本年も各社・各ブースとも自信を持って最高の視聴を提供してくれるだろう。入場は無料。午前10:00開場である。まず一日中いても飽きる事はないだろう。私がそう確約する。どうぞ初秋のひと時 世界屈指の名機の数々に接し最高の音、最高の音楽の世界に暫し浸って頂きたい。そう切望するところである。
(ルチアーナ筆)
★今回 注目の新製品に
アキュフェーズのセパレート型
SACD.CDプレーヤー
DP950+DC950がある。
価格は¥2400000である。
期待して 先ずは視聴に臨みたい。