戦争と芸術”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

20世紀は一大紛争の時代まさに世界を揺るがす悲惨極まる戦争と言う人間の憎悪が頂点に達し冷静さを断ち切り戦い殺し合う事があたかも使命であるかの様に大多数の心が蝕まれ結果あの様な取り返しの付かない状況に立ち至る恐怖の時代となったのである。取り分け第二次世界大戦は欧州全体を壊滅の危機に陥し入れ太平洋戦争においては我が国とアメリカの壮絶な戦いの中、我が国はもとより中国、朝鮮、東南アジア諸国に未曾有の損害と犠牲をもたらしたのである。民族主義ナショナリズムは頂点を極めナチスドイツの台頭と増長は他民族を退けアーリア人による唯一の第三帝国を軸とした秩序を構築する野暮へと進み人の命が紙くずの様に扱われる事のおぞましき歴史の幕開きを許してしまったのである。我が国も又、軍部の暴走に弾みを与え議会は解散全ては時の政府の意のままに体制翼賛会を形成、言論は統制され労働運動はおろか自由主義思想までもがコミニュズムへと同化され共産主義者共々、根こそぎ治安維持法の網にかけ徹底的に弾圧し時には無残にも人々のその命すら奪ったのである。そしてこれが全て戦争へと国民を総動員する為の軍部独裁政治の様相だったのであるから恐ろしい。こうした状況の下、本来何ものにも支配されず構想と自由な意思をその成り立ちの原点としなくてならない筈の芸術は如何なる事態に置かれたか。その歴史も又、紐解く必要がある。我々が携わる音楽は特に国威発揚の道具として時の権力に牛耳られ言われるがまま支配階級を褒め称え、若者には【国の為には血を流せ!】と歌っては戦争の犠牲になる事を強い心を操りマインドコントロールにかけ何んの疑いも抱かせずに合法的に殺人を犯す戦場へと駆り立てたのである。勿論、アメリカや欧州の音楽はことごとく演奏を禁じ又、楽譜は発禁処分とされた。ナチスの行為はもっと非道である。民族主義とアーリア人の純血を守ると言う美名をかさにユダヤ人を大量に虐殺、芸術の歴史すら書き換え様と画策、メンデルスゾーン始めユダヤ系の作曲家の諸作品はこれを楽譜は焼却処分、活躍の足跡も又歴史から消滅せんと企んだのである。しかしナチスが幾らそうした蛮行を画策しようと歴史の真実は動かし様がない。楽譜の多くは善意の人々や各地で地下活動する対独レジスタンス従事者により難を逃れ今日まで正気を得た事は人類の遺産を崩壊の危機から救った他方正義の歴史なのである。芸術は人の心に訴えかけ人と人を結ぶ意思表現の人間が出来得る最高のパフォーマンスなのである。…であればこそ時の権力は真っ先にそこに眼をつける。ファシズムの政治的戦略は先ず人心の支配にある。ナチスはベートーヴェンを始め生粋のドイツ音楽をドイツ民族の誇りと位置ずけ排他主義の徹底を図り、その最大限の広告塔にR・ワーグナーを利用する。ゲルマン民族の優位性を徹底的に流布する為にはワーグナーの【オペラ】【楽劇】は絶好の道具だったのだ。だが威勢を放ったナチスドイツの勢力拡大の野暮もやがてロシア戦線での手痛い敗北を境に衰退の一途たどり連合国軍のノルマンディー上陸によりその終焉が決定的となった事は周知の通りヒトラーの命運も遂に尽きるのである。同じく我が国も本土への度重なる空襲と広島・長崎への原爆投下と言う筆舌に尽くしがたい悲劇を経て敗戦を迎えるがいずれにしても戦前戦中に我が国が取った国策がことごとく言い尽くす事すら出来ぬ程の悲惨極まる結果をのみ生み出した事だけは歴史の真実として決して否めない。そしてそうした悪しき歴史の只中芸術は、音楽は否応なしに結果として戦争遂行に加担してしまった事も又、否定出来ない事実なのである。諸兄は【愛国の花】と言う唱歌をご存知だろうか。美しい叙情的なワルツである。しかしこんな一見爽やかに聴こえる歌でさえ、皇国史観に彩らた銃後の姿勢を説く【軍歌】なのである。私は戦後70年のこの年に音楽家の端くれとして改めて心に誓った事がある。それは何があろうと音楽家たるもの決して権力に媚びてはならないと言う事と常に音楽家は時の権力に対峙する位置に身を定め、自由と民主主義の守り手たらんとその想いを終生堅持し続ける事を肝に銘じ体現しようと考えた事である。国民の眼、耳、口を恫喝して封じ込め世界各地でまたぞろ戦争の出来る国へと我が国を引き込もうとする現政権の存在を告発して、若者を二度と再び戦地へ送る事のない様、今まさに世にも恐ろしい戦争法案が成立しようとしている時、我々音楽家はかつて歩んだ悪しき道筋を決して又、たどらぬ様しっかりとした自覚を持って臨む事が歴史の教訓を学び取って歩む表現者としての責務に他ならないと思う。ファシズムはナメクジの様にひたひたと足元へと忍び寄り気が付いた時には既に遅し、侵食されてしまうのだ。これ程恐ろしい事はない。【戦争と芸術】が結び付いた時、取り返しの付かない事が又現実のものとなる。そんな予兆が今この国でうごめいている事に私は最後に大きな警鐘を鳴らして今書を閉じる。恒久平和を祈りつつ…。
(ルチアーナ筆。)