(ルチアーナ筆。)
親父が去る7/11亡くなった。そして間も無い7/14、今度は母方の叔母が亡くなった。共に享年89、94と人生としてはある意味十分な年齢を全うしたと言えなくもない。しかし遺族たる我々としては出来うる事は全てやり尽くし見送り悔いは無いと思いつつも今考えれば「あんな事もしてやれば良かった。こうも出来た筈」等と改めて考える事しきりである。そして私はつくづく想う。又ここで一つの時代が終わりを告げたのだ…っと!。今までもこうした時代の節目を感じる瞬間は他にも数多、経験して来てはいるが今回は極めて身近にそれを感じ翻って未来への展望を想起している所である。戦後70年今何を考えるべきか。親父は旧逓信省の工事課で若かりし頃を送っていた。昭和20年初春、日本の戦局は既にのっぴきならない局面を迎えていた中、親父も招集を受け戦争末期の土壇場の中入隊準備に追われていた。そんな矢先あの東京大空襲が巻き起こる。東京下町界隈に来襲したB29の大編隊から投下されたおびただしい数の焼夷弾は一瞬にして東京の街を火の海と化し、たちまち焼け野が原へと変貌させた。親父は生前この後出された緊急指令を今だ忘れた事がないと言っていた。軍指令部の復旧命令、通信が寸断されその回復は緊急課題であった事は想像に難くない。そして復旧工事に赴く親父達、緊急通信復旧隊の面々が眼の前に見たものは何か!。隅田川の河べりにうず高く重ねられた丸焼けとなった遺体の山。殆どが墨の様に黒焦げ男女の判別はおろか炭化したその顔からは頭骨か露出し見るも無残な状態を呈しとても身元の確認など出来る有様ではなかったと…。こう振り返っていた。そうなのだ!。こうした戦争のもたらす惨たらしい光景をリアルに体験しそれを後世に伝える生きた声が今回、親父が亡くなった事でここでも又、途絶えるのである。人が殺し殺されるそんな非情で理不尽な行為、これこそがまさに戦争と言う蛮行なのだ。私は改めて本当に【今想う事】は何かと問われれば、かの戦争体験の悲惨な歴史の傷跡をどの様にいさめ、その歴史的教訓から平和と民主主義の尊さをしかと学び、二度と再びこの日本が戦争の惨禍にさらされぬ様努力するか!その事にこそ想いを馳せる。それ以外にはないと考えるのだ。事の良し悪しに関わらずその時代時代に何をどう言う角度から体験しているかは、まさにその時々にその時代を生きた者にしか分からない。だからこそ、後世に生きる者はその教訓を学び取り自らの心に育まなくてはならない。親父そして叔母の死は奇しくも同時期に重なったが…であればこそ尚更、私は今日、二人が生きた時代を想い平和と戦後民主主義の歩みの尊さを噛み締める事の重要さを認識してやまないのだ。アメリカの引き起こす戦争に加担して自衛隊員の命を危険にさらし、国内でのテロをも誘発しかねない安倍晋三が目論む空前の悪法【戦争法案】はこうした先人の平和への想いとは絶対に相容れない。私達が目覚め、この危険極まる事態にストップをかける事こそが先の戦争を悲しみの中、体験した親父を始め同世代の先人達に対するせめてもの慰めとなる。私はそう信じてやまない。