蝶々夫人”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

プッチーニのオペラの中で
これ程、厄介な作品はない。
幕末の日本。開港地、長崎を
舞台にけなげに愛する異国の
人をたった一つ言い残していった
言葉「桜の季節、きっと君の元へ
戻って来る。」をよりどころに
一粒種の息子を愛の証として
じっと待ち続ける蝶々さん。
仮初めの情事として悪びれもせず
新たな妻を連れて戻った
不実の海軍士官ピンカートン。
その様に絶望して自らの命を絶つ
蝶々さんの壮絶な最後。
この悲劇はこう始まり
こう完結するのだが
これをひとたび
上演するとなると些か難儀を
強いられる。何しろ今作品は
作曲者プッチーニその人が
先ず、当時の日本の時代考察に
疎かった事により台詞も
実に不備が多い。演出も今だに
日本の伝統文化への認識不足に
よる実におかしな仕草や舞台装置
そのものの錯誤が蔓延る現況が
垣間見られる事しきりでなのである。
又、衣装に至っては眼を覆いたくなる
様な奇妙なものも時とし
見て取れる有様で、やはり今作品の
特異な一面が諸問題を拡散させる
原因と言っても良かろう。
しかし、まぁ~ここでもプッチーニの
作り出した音楽だけは秀逸だ。
その美しくも切ない蝶々さんの
心情を全編に渡って表出する技法の
妙は実に素晴らしい。
プッチーニ作曲、歌劇「蝶々夫人」
演出や衣装、その他考察の不備は
全て100歩譲ってご鑑賞あれ!。