マエストロ小澤”復活のタクト。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

我が国が世界に誇る
マエストロ小澤征爾氏が長らく
続いていた療養生活から復帰
本格的にその指揮活動を
再開する運びとなった事は
これはこれで誠に喜ばしい事と
我々音楽の世界に身を置く者なら
誰しもそう思うに違いない。
何せ、我が国はゆうに及ばず
小澤征爾氏の存在そのものが
世界の音楽界にどれほど大きな
影響を及ぼしているかを考えれば
今更言うまでも無い事ではあるが
如何にそれが大きなインパクトを
持って受け取られるか容易に
想像の出来る話でもあるからだ。
そして本格復帰のその舞台は
極め付け、今夏に開催される
恒例、松本での
齋藤記念フェスティバルの
そのステージである。
日本の音楽英才教育の礎を
構築した故・齋藤秀雄氏の教えを
受けた愛弟子達、勿論小澤氏も
含まれるのだが、今や世界を舞台に
活躍する名手の面々が、恩師である
齋藤秀雄氏の偉業を讃え
創設した
この国際的音楽フェスティバルは
まさに小澤氏が精魂傾けて
その発展に尽力して来た最も
重要な催しであり、再起復活に
かける小澤氏の血潮がみなぎって
結実するファン待望の機会に
なる事は想像に難くない。
世界水準の実力を兼ね備えた
優れた名手達が一堂に会し
作り出すオーケストラ・サウンドの
凄まじいばかりの迫力と壮大にして
最高度を極めた【美】の競演、
毎年、その見事な演奏は
国際的にも高く評価されているのは
当然であるが、あくまでも年に一度
組まれる臨時オーケストラである
この齋藤記念オーケストラのこの
サウンドの完成度、クオリティーの
高さは、かのベルリン・フィルにも
匹敵、凌駕する程と言っても過言
ではない。
全てが現在望みうる最高の
舞台、まさに小澤征爾氏の復活に
相応しい。チケットの入手も
甚だ困難を極めるこの音楽祭は
欧州の名だたる音楽祭、ウィーン
ザルツブルク等々の催しに比して
勝るとも劣らない我が国の
誇りであり、世界屈指の芸術の
祭典である事は最早言を俟たない。
私は冒頭、小澤氏の活動再開を
これはこれで喜ばしいと記したが
その心はやはり今や高齢となった
マエストロ小澤”にくれぐれも
無理をして欲しくないと言う考えが
脳裏を過るからだ。
まだまだ、やって貰わなくては
ならない事が山ほどあるが
しかし、それは氏の体力と知性の
おもむくまま、のんびりとゆっくり
が基調になって成される事が
望ましい。偉大な実績を既に残し
次なる新しきチャレンジを希求する
その姿勢は何んと言っても尊敬に
値するものだが、全て身体あっての
話である事は当然であり
我々はそこに小澤征爾と言う
偉大なマエストロが存在する事で
先ずは大きな心の支えを得る事が
出来る…っと言う事実を
氏にも理解して頂きたいのだ。
バーンスタイン、カラヤン二人の
20世紀の音楽芸術を織り成した
双璧に師事した小澤征爾氏の
膨大な経験と実績、齋藤秀雄氏から
受け継いだ、次世代の育成の
重要性と実践の歩み、これら全ては
まだまだ小澤氏本人により
大きく具現化されるべき課題だ。
それ無くして次代の
クラシック音楽の発展は考えられぬ。
齋藤記念フェスティバルは大いに
楽しみであり、一聴衆である私も
本年は特に注目と期待を深くして
今からその開催を待ち望んでいる。
【小澤征爾】。日本が生んだ
初めての巨匠と呼ぶに相応しい
偉大なコンダクター。
その復活は新たな活動への導入に
価するものであり素晴らしい日々の
スタートの合図でもあろう。
どうか末長く自愛するも尚、
精力的に今までにより増して
若者をリードし、厳しくも深い愛を
もって育て、何より自らの優れた
音楽芸術の世界を我々の前に
体現して頂きたいものである。
この夏【復活のタクト】から
生まれる音楽は暑さに
喘ぐ街角に美しく、爽やかな
風となって吹き抜けるだろう。
【マエストロ小澤征爾】の復活とは
即ち、そう言う幸せを我々が
享受する事が出来るそれを
意味する事なのだ。
(ルチアーナ筆。)

★明日から一週間ほど又、
自らの勉強に集中したいと思う。
暫くブログ更新をご猶予
頂く事となるがご容赦
願いたい。
しかし時の経つのは何んと
早いのだろう。夏を挟むとは言え
リサイタルまで
残す期間は四ヶ月余。
のんびりは出来ない。
しっかり勉強しなければ…!。