ヴェルディを歌う”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

昨日は比較的、早い時間帯に
練習をする時間を得た。夜分は
長年レッスンに来て居られる方
との時間を確保してあり、
日中に練習時間を自らの為に
確保出来た事は最近ではかなり
珍しい。外は大雨、しかしこんな
時はかえって声の調子は上がる。
喉が潤うのだ。
リサイタルでの選曲を中心に
トレーニングを積むのが筋だが
昨日は少し横道にそれて、
ヴェルディのオペラアリアの
幾つかを歌ってみた。
ジュゼッペ・ヴェルディ。今更
言うまでもないが
この偉大なオペラ作家がもし
いなければイタリアオペラの
伝統も更なる発展も
あり得なかった筈だし、具体的には
ヴェリスモオペラへと進む
オペラの世俗性や取りも直さず
ベルカントそのものの流れも
停滞を余儀無くされていただろう。
そんなイタリアオペラの巨塔の
作品はどれも珠玉の名作ばかりで
あるが、歌うとなると
当たり前だが、そう容易く行くもの
ではない。
トラヴィアータ、リゴレット、
ドン・カルロ、ルイザ・ミラー。
これで目一杯、体力も、だいいち
喉が持たない。しかしこれだけの
作品の主要アリアを歌っていると
おのずと声に柔軟性が生まれるから
不思議だ。力感に満ち明瞭で快活な
メロディーライン。必ずしも
カンタービレの王道を行く
フレーズの美しさを表出している
ばかりではない。
そこにあるのは、ひとえに
声の魅力を最大限に引き出す事、
そしてイタリアオペラきっての
アンサンブルの絶妙な構成力。
トータルとして言えるのはやはり
作品はどれも基本的に重厚である
と言う事。そこに尽きる。
そんなヴェルディの諸作品は
私のレパートリーの中では
かなり限定されてしまう。
私の声の質に合致する作品が
必ずしも多い訳ではないからだ。
声楽家はやはり自らの声の
質感をしっかりと踏まえ
レパートリーを厳選する作業が
必要だ。好き嫌いで歌う曲を
無作為に選び、力任せで歌って
いたら声はたちどころに消耗し
その輝きを失う事となる。
ヴェルディは私の声に柔軟性を
与えると先に述べがそれは
諸々の技術的要素を踏まえ、
慎重に歌う事をヴェルディでは
否応なしに求められるからだ。
ガムシャラに歌ったら
撃沈である。だからこそ
細心の注意をはらい歌う事で
ヴェルディの描いた音楽に
上手く取り込まれ声は柔軟性を
得る事が出来るのだ。
勉強の過程ではあらゆる対応が
あって然るべきと考える。
私はリサイタルに臨む為の
練習訓練のプロセスで残る日々も
又、有用な手立ては全て実践する
つもりだ。
ヴェルディの作品レパートリーは
今回リサイタルのメインプログラム
に位置しない。…が、
アンコールを頂けば、
歌うかも!(笑)
因みにトラヴィアータの
アルフレート、リゴレットの
マントゥヴァ公爵の質感が
私の声質にはいちばん合致する。
…っとなると私の声が
概ねどんな声かもご想像を
頂ける事と思うのだが…。
(ルチアーナ筆。)