バイエル・ピアノ教則本。
多年に渡って我が国の
ピアノ初級奏法教育の
基礎習得を目的に先ず最初に
ピアノ教師が
生徒に与える虎の巻…っと言った
意味合いの極めて
オーソドックスな教本として
なじまれて来た名著、それが
このバイエル・ピアノ教則本で
ある。
多数の楽譜出版社がこの教材を
もとに各々工夫を凝らし
何段階もの技術過程を形成して
バリエーション化した事により
ピアノ初級教育の現場に
おいて教材選択の幅が大変拡大し
利便性はより一層高まったと
言えるのが現状である。
ピアノの初級レッスンの教材と
しては実の所、何もバイエルを
使わなくてはならない等と言う
決まりは当然ないのであって
世にはトンプソン、バーナム等々
を含む優れた教材が数多存在し
初級教材として今や
バイエルも絶対的地位を築いて
いる訳ではないと言うのが
確かな現状だ。
現に欧州や米国などでは
このバイエル。殆ど使われる事は
ない様であるしピアノ教本と
しての知名度も極めて低い。
では何故、はっきり言って我が国
だけが、ある意味突出して
このバイエル・ピアノ教則本を
重宝にして来たのであろうか。
それはやはり何んと言っても
我が国が明治維新、開国以来
ありとあらゆる
分野において一気に欧米列強の
我が国への悪しき侵食を食い止め
260年にも及んで国際的に閉鎖
された社会的、文化的遅れを
早急に取り戻す…っと言うより
新たに構築する為、歩む中での
方向性として広い意味で
西洋音楽の取り込みと教育の
あり方にドイツ・オーストリア圏の
それを中心にその構図を形成
させたと言う経緯が起因するものと
考えられる。
名歌「荒城の月」や「花」などの
作曲者として著名な滝廉太郎を
始め多くの人材を欧州へ留学させ
会得した西洋音楽の素地はその
殆どがドイツ語圏のそれが主流で
あり、そうした一連の流れに
あって探し導き出されて来たのが
何故か、その方向に合致した教本、
つまり、たまたまピアノ教育には
バイエル…っと、まぁ~こうなって
しまったと言う事に他なるまい。
当時の国の政策など如何なる
プロジェクトが多面的に展開された
のかは、近代史的考察を
学問として詳しく紐解いて
話している訳ではないので
その真偽の程は定かではないが
概ね私の論に誤りはないだろう。
しかし、考えてみればこうした
選択は結果的に極めて
良好な方向性を導き出したものと
今現在に至って尚、私自身、
個人的にではあるが
そう考えている。教育者の端くれ
でもある私に取って孫の様に
まだ幼い子供達にピアノを
教える事も大切な仕事の
一つである。上記した様に最初に
ピアノに接する生徒に教材として
何を与えるかの選択にはかなり
大きな幅がある。しかし私は
少々古い発想なのかもしれないが
現在も尚ほぼ迷わず、バイエルを
基調として編集された楽譜を
選び渡す様にしている。それは
私達がまさにピアノを始めるに
あたり教師から与えられた教材が
まさしくバイエルであった事、
それて少なくとも私自身が
この教材の長所も又、短所も
言わば知り尽くしているからに
他ならない。長きに渡り教材として
使われピアノ学習者の技術的向上
に寄与して来たこの教材は
全体としてその弱点を取り上げ様と
思えばそれはそれで出来ない訳では
ないのだが、しかし諸々の弱点を
全て引き受けて尚、生徒に与えて
利する事の方が大きいと私は
考える。この教材を軸に周辺には
おびただしい数の楽曲がひしめく。
それらをどう効果的に
併用導入するかに寄って各生徒の
テクニックの精度向上の如何が
決まって来る。まさに指導者側の
力量が試されると言う訳である。
金科玉条の如く頑なにバイエルに
固執する事は馬鹿げた話では
あるが、しかしさりとて多年に
渡りピアノ教育の根幹を
支えて来たこの伝統的教材を
全く無視する事は余りにも
もったいない。繰り返すが
今我々の周辺には限りない教材、
資料が数多存在する。ならば
それらを多角的に織り交ぜ、
オーソドックスと言われる
バイエルにしっかりとリンクさせ
活用する事が永くは新たな才能を
見出す為にも有効なのでは
ないだろうか。
バイエル・ピアノ教則本には
そうした効用に充分対応出来る
だけの底力が内在している。
後は要するにその効果を有効
せしめる指導的技量が教師の側に
あるかないかの問題だけ
なのである。
(ルチアーナ筆。)
★この教則本の作曲者
フェルディナンド・バイエルは
19世紀中期のドイツの
作曲家であるが、歴史的には
この優れた教則本を
世に残したと言う事実以外の他に
その功績に特筆すべにものは
ない。