プラシド・ドミンゴ”コンサート・イン・ジャパン。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

去る3/22「土」WOWOWライブ
において昨年10月12日に
東京国際フォーラム・ホールAで
開催された世界的テノール歌手
プラシド・ドミンゴの日本公演の
模様が放映された。
彼も早70歳。
高松宮殿下記念世界文化賞
【音楽部門】の受賞と
母国スペインと日本との
友好推進イベントとの開催を兼ね
来日した昨秋、彼は相変わらず
その類稀な強靭この上ない
スピントボイスを我々の前で
披露してみせた。
流石に初来日した時の
30代半ばの
絶頂期に聴かせたあの鮮烈な
輝きは今は影を潜めたが、音楽の
骨格を壮大に描く
その歌唱スタイルは今尚、健在だ。
近頃はやはり声への負担を
軽減する為が、特にオペラにおいて
バリトンのレパートリーを多く
歌い演じているが、それとて
全てが新たな挑戦の連続である訳で
単に声の衰えを補完する為の
逃げ道なのでない事は
万人に明らかだ。スペインの伝統的
民族オペラであるサルスエラも
誰もが知るスペイン情緒
いっぱいの【グラナダ】も
レパートリーの隅々に
至るまで全てどれを取っても、
この大歌手にしか作り得ぬ
孤高の世界観をその歌唱は
醸し出している。
彼は言う。【音楽は無形である
が故、どんな事でも可能になる
民族性、生活環境、言語、価値観
そうしたもの全てを超越して人心
に訴えかけ、精神的繋がりを形成
する事が出来る。通訳など
無用だ。音楽の流れに直結した
感情はダイレクトに聴く者の魂へ
訴えかける。理屈はいらない。
だからこそ音楽は普遍的芸術
なのだ。】…っと。
まさにその通り、我々とて普段
殆どの場合、日本語で会話し
日本語で考え、当然日本語で
夢だって見る訳だ。
何んと言おうが彼の歌うオペラ
全てをその言語体系で余す事なく
理解出来ているかと言えばそれは
事実とは言えない。だが我々は
彼の歌に時として【涙】する。
何故か?それは
それこそが彼の言う音楽のもつ普遍性であり無形の力であるから
なのだ。若きソプラノとの共演と
共に数々のレパートリーを延々
二時間にも渡って歌い切る
バイタリティーがどこに潜んでいる
のか私の様な凡人には
皆目解らぬが、やはり
【天が与えし才能】を持つ者は
歳を重ねたとは言え、天才”のまま
なのだ。その事だけは
このオンエアを見て改めて
思い知らされた。そして
私は私自身が歌い手の
端くれとして【こんなに幸せな
事はない】と今回また思った。
それはまさに私が生きて来た
この時代にプラシド・ドミンゴが
ホセ・カレーラスがそして
ルチアーノ・パヴァロッティが
最も素晴らしい活躍を見せて
くれたからに他ならない。
残念ながらパヴァロッティは
既にこの世には存在しない。
しかしドミンゴとカレーラスは
まだまだ健在だ。確かに今、両者の
声にかつての様な輝きはない。
だがその歌唱の隅々には共に私が
経験して来た時代の流れ、
彼らの歌声に触発された日々が
大きな想い出として残り続ける。
私より尚、10歳先輩にあたる
プラシド・ドミンゴのその歌声に
ならい私は今秋の最後の
リサイタルへ向け、無限の努力を
傾注しなくてはなるまい。
【引退は新たな世代への継承と
励まし。】そこから私の
更なる次世代教育への道が開ける。
私は10/19を持って引退。
しかし、私より10歳年長の
世界最高のテノール
プラシド・ドミンゴは益々
盛んに歌い続けて行くであろう。
それは芸術家としての責任の
重さの違いだ。そこには
使命感を持った人間の崇高な
生き様が大きく展開されて
いるのだ。
(ルチアーナ筆。)