シューベルトの
交響曲ロ短調D759。
世に未完成交響曲として名高い
この作品は数々の習作を
残したシューベルトの交響曲の中
にあって正規に演奏可能な
作品としては七番目の作品であり
近年は交響曲第七番と
されている事は周知の事実で
ある。久しく聴く事もせず
過ごして来たが、昨夜仕事明けに
くつろぎながら久しぶりに
耳にした。
演奏は若き日のロリン・マゼールの
指揮によるベルリン・フィル。
40年以上前の収録だ。
しかし、どうだ!この瑞々しさは!
心に染み渡る優美な旋律美、
若々しくデリケートにして
雄大なスケール。マエストロの
若き日の演奏スタイルに感服。
それにしても、この作品。
今更だが、何と美しく深い情感に
満ちているのだろう。
当然、通常の交響曲の様に全体を
四楽章構成で成り立っては
いない。これが未完成作品である
事の所以。しかしこれは
彼の死によって遺作として
残された訳ではない。
シューベルトはこの作品を
手がけた後、例の八番シンホニー
「グレート」を始め後世に残る
名作を尚も、書き残して
いるのだから…。
このロ短調シンホニーがなぜ
一、二楽章まで書かれたところで
ストップしたかは今だ謎のままだが
シューベルト自身が
続けて第三楽章のスケルツォを
八小節目まで書いている事からも
この作品は当初の計画として
最後まで仕上げる心づもりが
充分あった事をうかがわせる。
だが、この部分、先行する
一、二楽章に比して明らかに
著しくその音楽性、精神性に
おいて劣るとしか言いようが無い
のだ。しかもこの作品は
一、二楽章とも3/4拍子、そして
このスケルツォも同じ3/4拍子。
シューベルトは余す事なく最上の
音楽をこの一、二楽章で
作り上げた事で、その後の
創作的精神が枯渇したのでは
ないかとも言われているが、
それもまんざら根拠の無い事では
あるまい。それ程この一、二楽章は
素晴らしく絶対的価値を有する。
要するに結果として
残る三、四楽章が書かれなかった
のは、シューベルト自身が
一、二楽章の完成度の高さに
それ以降の創作の必要性を
認めなかった事の証であろうと
考えるのが妥当と思われる。
シューベルト作曲、交響曲第七番
ロ短調「未完成」D579。
これこそ、未完成にして、
完成し切った究極の芸術
なのである。一、二楽章までで
全ては完結した史上稀にみる最高の
音楽。既にそれは何よりも
作曲者自身であるシューベルトが
充分、承知していたのかも
知れない。
(ルチアーナ筆。)
★シューベルトは一、二楽章の
スコアを友人で官史の
ヒュッテンブレナーに送っているが
彼はそれを手元に置いたまま、
放置、シューベルトが残りの
三、四楽章のスコアを送付して来る
のを待っていたとも考えられるが
結果、その後多年に渡りこの作品は
日の目を見ないまま、次代、
歴史的大指揮者ワインガルトナー
が初演のタクトを持つまで
その存在は忘れさられた
ままだった。今日、我々は
この名作を耳に出来る。
これはまさに、最大の幸運で
あるに違いない。
☆作品ナンバーのDはドイッチュと
呼ぶ。モーツァルトのK、
ケッヒェル番号に比べれば
些かマイナーだが
ご承知願いたい。