昨夜のプレミアムシアター、
在りし日の
クラウディオ・アッバードの
入魂のタクトに新たな感動を
受けたのと同時に時の流れ、
人力では押し留める事とて
出来ない人の世の無情を
ひしひしの感じた。
自らの旅立ちを暗示させる様な
モーツァルトの【レクイエム】。
悲しくも情感溢れる名演である。
終演後、聴衆の拍手に応える姿の
何と細く小さな事か…。
痛々しい限りだ。
その音楽は壮大にして華麗、尚且つ
悲嘆と神への崇高な信仰と救いの
希求を見事に体現したものだけに
今この時、これを改めて聴く事の
切なさは、まさに限りない。
94年来日時の
ロシア音楽プログラムには
度肝を抜かれる。ベルリン・フィル
の硬質なサウンドイメージを
より引き締めながらも、そこに
巨大な音楽空間を造形
してみせる絶頂期の雄大な
バトンさばき、神々しい天才の
姿がそこにはあった。
もう多くは語るまい。
偉大な芸術家も
人の子である。全てが終末を
免れない。
【人生は短し、されど芸術は
永遠に不滅…”。】
避ける事の出来ない人生の縮図。
そして我々も又、自らが滅する
その日まで先人が残した
偉大なる芸術を享受出来る事を
大きな喜びとして、それを
受け止め、新たな想いを込めて
伝承していかなくては
ならない。そして
この名演、この遺産から
我々は芸術に携わる者としての
義務と何よりも大きな責任・覚悟を
学び取る事を忘れては
ならないのだ。
(ルチアーナ筆。)