ウォルト・ディズニーその光と闇”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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20世紀における偉人とは誰かと問われてウォルト・ディズニー、彼の名を上げないものはいないだろう。私財を全て投げ出し世界初の空前絶後とも言うべきテーマパークを作り上げ、子供達の果てしない夢、希望、好奇心を現実の空間で見事に体現して見せた、まさにこの世の魔術師とでも言いたくなる程の存在。人々へ限りなき愛情を注ぎ込む理想的な人間像はまさに敬服、敬愛するに価する。誰でもそう思っているに違いない。そしてこれも又、世界初の長編アニメーション「白雪姫」を完成させ世を感嘆の渦に引き入れ人類の偉業の一旦を最高の形で担って見せた。私はまだ幼い頃、ディズニーの代表的アニメーション「わんわん物語」「シンデレラ」「101匹わんちゃん大行進」、又、伝説的と讃えられる「ファンタジア」他殆どの作品をオンタイムで見ている。そしてその度に心高鳴る新鮮な想いにかられたものだ。そして今、この歳になっても尚、その想いは変わるものではない。だがしかし現在心静かに冷静にこの魔術師ウォルト・ディズニーという人物を見つめると彼の限りない闇の部分が見えて来る。第二次世界大戦後、全米に吹き荒れたレッドパージいわゆる赤狩りの恐ろしいまでの波、これは当然映画制作の聖地ハリウッドにも容赦なく襲いかかり、多くのリベラル派に属する、監督、脚本家始め善意の映画人が共産主義者であるという、いわれのないレッテルを貼られ誹謗と中傷に塗れこの聖地を追放される事になるのだが、その追放する側の急先鋒の一人だったのが誰あろう。かのウォルト・ディズニーだったのだ。この悪しき時代は自由主義、民主主義を掲げる近大国家としてのアメリカの今は恥ずべき行為を助長させた国そのものの罪として歴史的に清算されてはいる。しかしこの時代が如何に新しいプロジェクトの進行を妨げ、何よりも人の信条の自由を乱暴に踏みにじった非民主主義の象徴的時代だったかは、おして知るべき事柄である。ウォルト・ディズニーが連邦議会で言い放った耳を疑いたくなる様な悪罵を私は知っている。しかしそれは言うまい。人間がなし得た偉業と個々の価値観が他人から見てすこぶる解離していたとしてもその偉業そのものに何の傷も与えるものではない。ウォルト・ディズニーはそうした価値観の狭間で生きた孤高の天才だったに違いない。我々はウォルト・ディズニーが犯した過ちを責めるのではなく、そうした時に偏見と差別を心に内持した人物が何故これ程、表裏一体で善意と悪意を共に表出出来たのかを冷静に受け止めそれを偉大な人間の業として理解しておくべきだろうと思う。ディズニーアニメーションは名曲の宝庫でもある。「ピノキオ」での“星に願いを”などを頂点に数限りない。ウォルト・ディズニー死して半世紀。彼の愛の想いは過去の悪しき時代をも超越して現在に脈々とつながる強い動線の上にある。この流れは今後もいや、永久に滞る事はないだろう。
(ルチアーナ筆。)

☆この20年程のサイクルの中で
特に優れた作品と思える
ディズニーアニメーションは
美女と野獣” アラジン”
ライオンキング”…といった
ところか。 そして近年では
塔の上のラプンツェルだろう。
鬼気迫るテンポ感、色彩美。
又、豊かな愛に満ち溢れた
物語の展開、見事だ!
ウォルト・ディズニーの
心が時代を超えて染み入る
様だ!音楽も実に良い。」